かぞくのこと2(復職日記41)
祖母が入院した。
わたしはどこかほっとした。
この数日で、お父さんとお母さんは、長男夫婦と話をした。
祖母のこれからのこと。退院後のこと。
長男夫婦は、うちでは面倒見られない、と言った。
じゃあうちで面倒みますと言ってきたと、お母さんはきっぱり言った。
祖母が介護認定の審査を受けて、自立可能でなんの支援もつかなかったのが、6年前。
そこから、もう一度再審査してもらうタイミングを逸したまま、入院した。
いま、もう一度、介護認定の審査を申し込んだところ。
審査の結果がおりるまでは、約1ヶ月。
入院の期間は、祖母の状態次第だけれど、予定としては、2週間。
だから、退院から介護認定がおりるまでの、タイムラグが出てしまう。
その2週間を、長男夫婦は、うちでは見れないと言った。だから、我が家に来てもらう、って、お母さんは言った。
祖母の入院期間の状態次第だから、2週間で退院できるかは、正直わからない。延びるかもしれないし、縮むかもしれない。それはわからない。わからないけれども、可能性として、愛知県の病院から、退院後、千葉県のわたしたちの実家へ、来ることになる可能性がある、ということだ。
祖母は、足腰が立たなくなってしまった。
トイレに行けない。
その点もリハビリを入院中にするけれど、ひとりでトイレに行けるようになるかどうかは、わからない。
お母さんは何度も何度も言っていた。
みんな悪かったんだよ、と、言っていた。
みんな悪かった。だから、面倒みられる人が見るしかないし、わたしはひとりで抱え込むつもりは全くないから大丈夫。
わたしは、調べ得た情報、役に立ちそうなこと、あらゆることを、お母さんに伝えた。
そして、もし2週間、本当に家で看るのなら、休みの日はわたしも手伝いに帰る、と言った。
お母さんは、あらそう、ありがとう、と言った。
我が家は、お父さんの影がほとんどない家だ。
お父さんは仕事が忙しくて、1週間に一回帰ってくればいいほうで、昔から、ずっとそうだった。
他人の家のお父さんは毎日帰ってくると知ったときの衝撃は、今でも忘れられない。
お父さんって、たまに会う人のことだと思ってたから。
だから、家庭内で起こるいろんなこと、全部、お母さんとわたしでなんとかしてきた。
お父さんは、たまに帰ってくるだけだったから、わたしはお母さんが頼りで、お母さんも、わたしが頼りだったと思う。
わたし自身が不登校や自傷行為にはしるようになる前、弟が、家庭内暴力で暴れて仕方ない時期があった。
当時弟は、まだ小学生で、わたしも中学生かそこらで、まだわたしのほうが力が強かったからなんとかなったけれど、泣きながらわたしの背中を殴る弟を見て、泣きながら家のものを壊す弟を見て、泣きながら生まれたばかりの一番末の弟の首をしめる姿を見て、この子はいま、どれだけ苦しいのだろうかと、途方に暮れた日々が、まざまざと思い出される。
だいじなときに、お父さんは、あてにできない。
それは多分、口では「毎週末帰っておれも面倒を看る」と言っているけれど、その約束は果たされない気がしていて、ああ、今回も、お母さんのそばに、わたしがいるべきだと、思ってしまう。
実際に、2週間、ほんとうに我が家で看ることになるのかは、まだわからない。
わからないけれど、その時がきたときは、わたしは、お母さんの力になる。そばにいる。話を聞く。口を出すなら、手も出さなくちゃいけない。だってお父さんは、あてにならないから。
ほんとうはこれが、わたしの苦しみの源だって、わかってる。
わたしは、お父さんの代わりをしてきた。
こどもで、いられなかった。
でも、今、今は、大人のわたしが、大人のわたしとして、お母さんの力になるんだ。
わたしのからだとこころが、ちゃんと保ちますように。
だから今は、思う存分、だらだらしている。
忘れないように、ここに書いておく。
わたしは、お母さんの力に、なる。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい