からっぽになった(休職日記66)
退職することを決めたので、会社の障害者雇用の方とお話をした。
医師から1年は休んだほうがいいと言われていること、オープンにしてみなさんに伝えていた不安障害のほかに、双極性障害が出てきたのでその治療をしなければいけない、と伝えた。
ほんとうは、採用が決まったときから、不安障害、双極性障害ともにあったのだけれど、医師からのアドバイスで双極性障害のことはクローズにしていた。
たぶん、双極性障害のことを伝えていたら、採用にはならなかったと思う。
けれども実際に働いてみて、自分の労働の妨げになるのは「双極性障害」の症状のほうで、何の理由もないのに気分が落ち込みきって動けなくなって仕事に行けなくなってしまう、生きていたくなくて動けなくなってしまう、というのが実際だった。
不安障害は薬でコントロールできていたから、双極性障害も薬でコントロールできるはずだ、と思って働き始めたのだけれど、そうは問屋がおろさなかったという感じ。
双極性障害のことを今更言わなくても良かったかもしれないのだけれど、やっぱり隠していることがあるというのは、内心どこかで「化けの皮が剥がれるんじゃないか」と怯えるということで、最後だからこそ、ちょっと嘘は交えたけれど、自分にある「患い」をきちんとお伝えして、就労を継続できないことを、きちんとお詫びしたかった。
だから、不安障害のほかに、双極性障害も出てきてしまって、働くことが難しい、医師からも1年は休んだほうがいいと言われているので、退職させてほしい、と、会社の方に伝えた。
会社の方は、わたしの話を一通り聞いてくださって、残念ですけどわかりました、と言ってくださった。
声だけ聞いたら元気に聞こえるんだけれどね、と言われて、そうですよね、すみません、と答えた。
退職の手続きのために、勤務している図書館に行く必要があって、ほんとうは行かなくても郵送で手続きでもいいと言ってくださったんだけれども、ご挨拶がしたいので行かせてください、と、お願いをした。
そうしたら、では◯日にわたしも図書館に出向くようにするので、そこで退職の手続きをしましょう、と言ってくださった。
それならみなさんにご挨拶もできると思います、と言われて、ちょっとほっとした。
あとは当日、ちゃんとみなさんに会って、お世話になったことのお礼と、辞めてしまうことのお詫びをお伝えすればいい。
退職の日が決まってから、こころに青空が広がっているような感覚になることがある。
なんもなくなっちゃったのに、なんもなくなっちゃったからこそ、すっきりしたというか、なんもなくなっちゃったなあ、ということに、どこかほっとしている自分がいる。
ゆっくりしていいんだな、と、自分に対して思っている。
やっとゆっくりしていいんだ、遡れば10代のころからなんやかんやと走り続けてきたから、つらくても苦しくても立ち止まることをしなかったから、やっと、やっとゆっくりしていいんだな、と思った。
そうさせてもらえる環境をくれる同居人氏たちには、感謝しかない。
甘えさせてもらおう、と、今は素直に思える。
ありがたいことだからこそ、素直に寄りかからせてもらおう、と、今なら思える。
わたしからっぽになった。
昔から、からっぽだったけれど、もっとからっぽになった。
けれど、からっぽになって、よかったかもしれない。
心がおだやかでいられることのありがたさを感じている。
やっとゆっくりしていいんだ。
ゆっくりしていいんだよ、自分。
お疲れ様。
よくここまで、生き延びたね。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい