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休職日記36

昨夜もまた気持ちの落ち込みがあり、腰が痛くて呻いている同居人氏1の横にちんまり座って、話を聞いてもらった。


落ち込みの原因は、お母さんからの電話で、愛知にいるおばあちゃんのこれからのことに関する相談の電話だったのだけれど、こうしたらいいと思うよ、と伝えて電話を切ったあと、またいつもの、猛烈なさみしさがやってきた。


わたしが休職中であることは、伝えてある。
電話をくれても、いま調子が悪いから出られないから、明日かけ直すね、と、伝えることも、できるようになった。
だからわたしが調子悪いこと、知ってるはずなのに。


なのにどうして、「調子はどう?」って、聞いてくれないの?



どうしても毎回ぐっさり傷ついてしまって、落ち込んでしまう。でも、同居人氏1と話して、落ち着くことができた。


お母さんはいま、いっぱいいっぱいなのだ。
そして、お父さんに相談してもお父さんは自分の中で答えを決めちゃってるタイプだし、わたしが小さな頃からほとんど家にいなかったから、お父さんに話すよりも、わたしに話すほうが、はるかに「話しやすい」のだ。


頼りにされてる。
それはうれしい。
でも、さみしい。
でも、もうそれは、手放してあげないと、わたしはずっと、この循環から、抜け出せないのだ。



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今朝は、同居人氏2が起きだす気配で一緒に起きた。
昨夜の夕ごはんはキムチ鍋だったので(同居人氏1は鍋にも飽きてるしキムチ味にも飽きてて、ダブルパンチになってしまった、ごめん)、いそいそとお鍋をあたためて、炊飯器のごはんをお鍋に投入、おじやにして食べていた。


朝ごはんの支度を自分でやる同居人氏2は、なんだか、「いそいそ」という形容詞がぴったりな感じなのだ。おいしくごはんを食べるためには、手間を厭わない。良きことだ。


わたしはそれを横目に洗濯を始め、お茶をすする。


そうしていたところ、同居人氏1の部屋から、



うう…うう…


と、呻く声が。
たぶん腰が痛くて立ち上がれないんだろう、と見に行くと、案の定だった。


立ち上がるのを手伝って、なんとか起き上がった同居人氏1。



もういっそ殺して…



と物騒なことをいうほど、朝は痛いらしい。
昼間はさほど痛くない、というから、もうしばらく様子を見て、それでも治らなかったら病院に行こうね、言った。


おいしそうにごはんを食べる同居人氏2をみて、同居人氏1はうらめしそうな顔で、


こんなに腰が痛いわたしがいるのに、おいしくごはんを食べているなんて…



と、八つ当たりしていた。



そうこうしているうちに、同居人氏2の出発の時間になった。
昨日に引き続き、自転車で出勤するという。
気をつけてね、いってらっしゃい、と見送る。


と、しばらくすると、ピンポーン、と玄関のチャイムがなる。


ん?と思ってインターフォンをみると、そこには同居人氏2の姿が。


どうしたの?と聞くと、


いや、昨日久しぶりに自転車で長距離走ったから、お尻が痛すぎて今日は自転車乗れないわ…
ヘルメットと手袋、閉まっといて…


と、しんみりと言った。


思わず笑ってしまって、わかった、と言いながら、再度お見送りした。


こうしてわが家は、腰の痛い同居人氏1と、お尻の痛い同居人氏2と、調子の不安定なわたし、という、なんとも不健康な感じになった。


2人の腰とお尻が、なるべくはやく治りますように。
そしてわたしは、なるべく心穏やかに過ごせますように。
今日も今日とて、しっかり休もう。

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