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復職日記21

今朝は朝から3人で昨夜の鍋の残りでおじや。
我が家は高頻度で鍋をする。
同居人氏2が鍋好きなのである。
作るのも簡単だし、疲れていても、ぱぱっとできる。


昨夜の鍋は、同居人氏2製作のキムチ鍋。
どんどこざくざく、大胆に材料を切っては入れ切っては入れしていくさまを横で見ていて、おお、と唸った。


鍋ひとつとっても作り方は三者三様。
わたしは爪が甘いので、途中まで丁寧だけど、豆腐とかくずれちゃうタイプ。
同居人氏1は、お店に出てくるみたいにきれいに盛り付けて鍋を作れるタイプ。
同居人氏2は野趣溢れるタイプ。


野趣溢れる同居人氏2は、こりゃ鍋じゃなくてちゃんこのようだな、とか独りごちていた。
ちゃんこも鍋もどっちもおいしいから、どっちでもいいよ、とわたしは返す。


そうしてできあがった野趣溢れるキムチ鍋が、今朝のおじやになった。あったかくてとても美味しかったけれど、3人分には少し足りなくて、わたしだけ食べるのが遅いので食べ足りず、結局食パンを食べた。


糖質制限している方からしたら、卒倒しそうなほどの炭水化物祭りになった。


午後になり、同居人氏2はお仕事へ。
同居人氏1はお昼寝へ。
わたしは本を読みながらうとうとしていた。


そんなとき、TwitterのDMに、お便りが届いた。
わたしたちがバンドをやっていたときに、ライブを見にきてくださった方からだった。


開くと、こんなことが書かれていた。



○○さん(わたしのこと)のバンドの、××という曲が好きで、ピアノで弾いてみました。はじめて聴いてもらう人を誰にしようと思ったときに、やっぱり○○さんに聞いてほしいと思ったので、音声ファイルを送ります。


ファイルをタップすると、そこには、見知っているわたしたちの曲を、一生懸命一生懸命弾いてくれているピアノの音があった。
たどたどしくて、緊張がこちらにも伝わって、でも好きで弾いてくれているのがわかる、素晴らしい音楽だった。



その方が送ってくれた音声ファイルを聴いたあと、わたしは久方ぶりに、元となった自分たちの曲を聴いた。

バンド活動をお休みしてから、わたしは、自分たちの音楽に背を向けていた。


久方ぶりに聴いたその曲は、いい曲で、あれ、こんないい曲だったっけと思っていたら、いつのまにか、泣いていた。


ああ、一生懸命音楽していたんだなあと思った。
ああ、こんなに一生懸命、3人で音楽してたんだ、と思った。
こんなに一生懸命、作って、届けたくて、受け取ってほしくて、苦しくて、それを上回る楽しさがあって、がむしゃらに、とにかくできることはなんでも、手を伸ばして、じたばたして、泣きながら怒りながら笑いながら、音楽してたんだ、と思った。


その一曲を聴いているあいだ、3人でがむしゃらに走った10年ちょっとが胸の中でぎゅうっと塊になって、それから、こう言った。



意味、あったんだよ。
意味ないなんて、思わなくてよかったんだよ。
だって3人で作ったもの、こんなにいい音しているよ。こんなにいい曲作ってたよ。
意味、あったんだよ。
意味ないなんてこと、ないんだよ。


最近、あの10年違うことをしていたら、とか、別の人生があったんじゃないか、とか、たらればを考えてしまう瞬間があった。
そんなわたしを宥めるように、そっと抱きしめるように、昔3人で作ったものが、今のわたしを包んでくれた。


DMをくださった方には、感謝してもしきれない。
だって思い出すことができたから。
わたしが、わたしたちが走った10年とちょっとは、ちゃんと意味がありました。
そこには体温がありました。
そこには意志がありました。
意味ないなんてこと、なかったよ。
意味ないなんて思わなくていいんだよ。
意味、あったよ。よかった。意味はちゃんと、今に繋がっていたよ。

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