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言いたいことがどこにも言えない

最近、体の上半分がもたれている。

たぶん原因はハラスメントハラスメントだ。外に出したい言葉が喉元ぎりぎりで引っ込んで、上半身に溜まっているのだ。

この考えは倫理に反している、あのエピソードは
フォロワーの誰かしらを傷つけそう。この感想は自分を誤解する人がいそう。

ただ「私」が言いたいことを発信したいだけなのに、それが世界に向けた、或いは根拠や筋が通った正しい内容でなければならないという強迫性観念を感じる。

途中まで文字を打ってみたり、あとは投稿ボタンを押すのみといったところまでいくけれど、読み返してみるとどうしても「誰かを傷つけるかも」「誤解されるかも」と思うとやるせない気持ちになる。そんな面倒くさいことになるなら投稿しないのが無難だろう。

削除した分だけ、下書き保存した分だけ、
また上半身が重くなっていく。
喉に指を突っ込んだら本当に何か出てくる気しかしない。

正しいことしか言えないのはとっても気持ち悪い。だけど、誰かを傷つけたいわけでもない。

けれども、人に配慮してる人たちが消耗されて自滅していくのもおかしいことではないだろうか。

前提として、人間にはそれぞれ事情がある。

気分が天候に左右されやすい人や、家族と喧嘩して家を飛び出た人、昨日失恋して世界の終わりのような朝を迎えた人、新しい命の誕生を喜ぶ人。

SNSで同じ文章を読んでも、読み手の感情や背景によって認識が180度歪むこともある。

また、逆も然り。

書き手の事情によって、時には受け入れられずらい考えを抱くこともあるのだ。

仮に「人間みんなゴミ。焼却炉で爆発しないかな」という投稿があったとする。

それを見た読み手は「過激な思想」「ヤバい奴」「あなたが見えてないだけでいい人はたくさんいますよ」と思うだろう。フォロワーだったらフォローを外す人もいるだろう。

だけど、、もしかしたら、、、その投稿主は結婚を考えていた恋人に浮気され、浮気相手は自分の親友で、挙げ句の果てに空き巣に入られたのかもしれない。

かなり極端な例だが、そんな事情があって投稿したのかもしれない。

投稿されたたった19文字だけで正解か不正解か判断することは、ハラスメントハラスメントの残酷な副産物だ。

確かにこの投稿主が発信した内容は過激で正しくないのかもしれない。この世界には間違いなく素晴らしい人たちがたくさんいる。

しかし、こんな状況で正しいことを思う方が難しいのではないか。

みんながみんな同じくらい過酷な状況の渦中にいるとは思わないが、引っ掛かりのある投稿を見かけたらヤバい奴認定する前に一旦「なにか事情があるのかも?」と優しさを持ちたい、そして持たれたい。

私自身、ちょっとこの投稿は反感を生むかも、、と思って削除や下書き保存した内容は、大体何かつらいことがベースにある。

しかし、ハラスメントは実際に誰かを傷つけているし、悪意のある言動は決して擁護できない。また、関係が近い人による悪意のない差別発言や中傷も、うっかり踏む恐れがあるのでお互いの地雷を確認し合いたい。

しかしその反対にハラスメントハラスメントがあることも、ハラスメントハラスメントを強く取り締まることでハラスメントハラスメントハラスメントが産声をあげることも忘れてはいけない。

どうかテレビを見ている人を見ている人を見ている人のような取り締まりの悪循環を緩和するためにも、人の考えに距離を持って眺めてほしい。

これまで悪意がある投稿とみなされ炎上および排除されてきた投稿の中には、きっとその人のルーツや事情から投稿された叫び、もしかしたら助けの声も混じっていたのかもしれない。

文章力云々心配なところだが、上半身を労わりたいのでこの文章はあえて読み返さず投稿する。
引っ掛かってしまった場合は「なにか事情があるのかも?」と察していただきたい。

#創作大賞2024 #エッセイ部門  
#ハラスメント #SNS

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