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#155 なぜ吐、書くのか

 あたくしの祖父というのが1981年の6月7日に亡くなっていて、今その6月7日に本文を書き始めたのですが、またこれから墓参りに行く。行くでしょう、どんな人だったかも覚えていないのに。膝に抱かれはしたでしょうが、1歳のときに亡くなっており、はたまたくも膜下出血でその前一年は病院のベッドで寝たきりであった。孫をちょっとだけ抱いてそのあとすぐ寝たきりになる人生。
 そんな人の墓参りに行くというのもよくわからないのですが、習慣化している。行くとなにかあるのではないかという本能的な期待がある。

 昔からラベンダーのにおいというのが苦手で、これは起点がはっきりしていて、旅行好きだった祖母が北海道土産に買ってきたドライフラワーのラベンダーのにおいで気持ちが悪くなりイヤんなるほどゲロ吐いた、ということがある。

 と、ことほどさように書くというのは刺激にたいする発作でございまして、なにかの外部刺激に対して絵、音楽、喋り、文章とそのときどきに応じて出力してきて現在に至っている。さいわいに面白がってくれる人がいて個展を開いたり、かつてはライブハウスに呼んでもらったり、本を出したりしているが、やっていることといえば刺激に応じてぶりぶりもりもりと吐きされるだけの話で、なんというかその、深みがない。テーマ性に乏しい。人に感銘を与えない。本稿もこのツイートが目に入ったから書いただけなんですよ勘弁してくだせえよお代官様ッ!

 と、つらつら考えていくといろいろと思い出されることがあってつらい。えーと、20年以上前に美大にいて文藝学をやっていたつもりでいたのですが、まわりの人間はテーマだの問題意識を持って作文をしている。当然学内のコンテストには大麻ハシシにもボウにも引っかからない。非常勤講師であった先生(今でも付き合いがあります)にも「お前には小説家は向いていない」と看破される。芥川賞が年二回選ばれるのはなぜか? それはねおまいさん、その時代その時代を活写するのが小説だからだよ、と、そんなことを云われてもあんまりピンとこなかった。で、自分のゼミの師というのが文芸批評の手堅い仕事をなされている方でしたので見様見真似で批評もずいぶん書いた。文芸批評、面白いとは思ってましたよ。群像新人賞の評論部門の二次審査まで行った(ここが人生の高みです)。一生の仕事になるかもしれないと思っていたこともあった。が、やはりものにはならなかった。だんだんと、ひとつのテーマに対して熱心に研究を続けるというのが苦痛に感じてくるのでした(だから、研究者というものに対してコンプレックスがある)。ずと、こんなことばかりして、生きていくのかなあと思い始めると途端に嫌んなっちゃうン。
 別に感動とか求めてないんだよ。感動しにいくんじゃないんだよ。なんか紫陽花がすんげーつやっつやに咲いてるなとか、そういうのにこっちが勝手に感動するんだよ。紫陽花は季節に準じて、刺激されてあるように咲いているだけなのぢゃよ。

 振り返ってみればわかる。その場その場の興味で刺激があるたびにぐぇるぐぇと表現を吐き出すばかりだったのだもの。でも長くやっていればいるだけのことはあって、絵でもお金をもらえた。文章でもお金をもらえた。ライブでは生ビールをおごってもらえた。が出れば日テレの情報番組で紹介してもらったらAmazonのデイリーランキングで1位を取れたりもした(この辺の話題に出すあたり、やはり自分のアイデンティティの拠り所にしておるのでしょうな、良くも悪くも……)。

 で、まだやっている。ことしは弊社30周年だ。直近ではこちらの本

 の装丁と解説をやっておりますでな、興味の向きはお求めください――と、もう書き残したことはないか。ないな! おしょまい!

※ 『アタゴオル』より、洗濯鳥の鳴き声をお借りしました

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。