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飽きる


サムネイルを毎回選ぶのが大変。
「日々のこと」を更新するときは、固定画像にすることにした。
これまでは探すことが"楽しかった"けど、唐突に"飽きてしまった"。

人は飽きると、シンプルになる。
自分にとって必要な分量が分かるようになる。
というか、必要な分量が分かったから、飽きるのだ。


***


人はだれでも飽きる。飽きることができる。
けれど、飽きるタイミングは人それぞれ。
すぐに飽きる人もいれば、一生飽きない人も居る。

すぐ飽きる人と、一生飽きない人に共通することがある。
それは、ずっとその事を考えていること。

逆に、それなりに長く続くけど、どこかで飽きる人に共通すること。
それは、適度にその事を考えていること。

「ずっと考える」と言うのは、思考の中にソイツが居るということ。
ノートに向かってうんうん唸ってるのとは違う。
言い換えると、「常にその事についてアンテナを張っている」とも言える。

毎日同じ飯を食えば飽きるように、関心事も同じ。
思考に関しては、毎日でなく毎食だとすると、そりゃ飽きもする。
そう考えると、飽きないってのは異常とも言える。


***


僕は「人」が好きだ。
「人間」という種にとても興味がある。
いや、あった。

家に在る本は、どれもジャンルがバラバラに見えるけれど。
"人を知る"という部分ではどの本も繋がっている。
それぐらい、好きだった。

人の仕組み、人の思考の仕組みに興味をもって20余年。
いつまでも飽きないテーマだと思って、考え続けていたけど。
どうやら、ついに、飽きてしまったらしい。

悲しい気もするけど、どことなく、スッキリもしている。

人の無限さ、底知れなさに、恐れをなした。
人の浅慮さ、わがままさに、辟易した。

飽きたというより、向き合いきれなくなった。
あまり好きな言葉ではないけど、人間がどうでもよくなった。
本音で言えば、「人間、クソしょうもねぇ」。

なんとなくだけど。
まじめに考えてることが、"戯れ"でしかない気がして。
くだらないし、どこかくやしい。

いろいろ考えすぎて、「シンプルに穏やかに暮らしたい」とか。
「楽しく幸せを味わいながら生きていきたい」と。
そんな言葉をこぼすときが多かったように思う。

無暗に享受して、無意味に過ごすのは、嫌だ。
学びと共に、知の隣で生きていきたい。

少し、人から離れた生き方をしたいな、と。
そんな風に思った。



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