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スポ根アニメと甲子園

 子ども時代、いわゆる “スポ根” のアニメをよく観ていた。巨人ファンではなかったが、『巨人の星』という番組が好きで、毎週、放映時間前からテレビの前に座り込んで、夢中になって観ていたのを覚えている。

 懐かしい思い出とともに、今でもまた観てみたいという気持ちはある。しかし、それはたぶんかなわないだろう。

 小学生の子どもに「大リーグボール養成ギブス」を着けさせて学校に行かせるなんて、あからさまな児童虐待だし、気に入らないことがあればすぐに家族に手を上げ、ちゃぶ台をひっくり返すおやじは、ドメスティックバイオレンスの典型だからだ。そんな場面を、令和のこの時代に堂々とテレビで流せるはずはない。

 ほかにも、「男と男の対決」といった表現も、今の時代の空気を吸う人間にとっては微妙な違和感も覚える。まだ高校生のはずの、大企業の御曹司であるライバル選手がスポーツカーを乗り回している場面も、今ならネット炎上は間違いないだろう。

 昭和の時代には当たり前のように受け入れられていたことでも、時代が変わればコンプライアンス的にアウトになることが多いと思う。それを窮屈なことと感じるか、時代の自然な流れとして受け入れるかは、人それぞれかもしれないが。

 時代は変わっているのに昭和の価値観からなかなか抜け出せないという意味では、夏の甲子園で開催される高校野球が頭に浮かぶ。連日、熱中症を警戒するよう促し、特に気温の高い日には外でのスポーツどころか外出も控えるよう深刻な顔で呼びかけるニュースの後で、「では、連日熱戦の続く甲子園球場では...」と笑顔になったニュースキャスターが続けることに矛盾を感じない人はおそらく少ないだろう。

 映画の一場面で観たものなので史実はどうなのかはわからないが、闘技場に罪人を集めてきて、罪人同士、あるいは罪人と猛獣をどちらかが死ぬまで戦わせる。それを観客席にいる観客が熱狂して観る。そんな場面を類推してしまう。

 今のままでよいという人と、変えるべきだという人。それぞれの言い分があるのは知っている。社会的・経済的・文化的にかっしりとした構造が出来上がってしまっているものは一朝一夕では変えられないこともわかる。しかし、本当にこのままでいいのか?

 高校野球にかかわらず、より次元の高い舞台があれば、どんな過酷な条件でもそこに立ってみたいと考えるのはアスリートとして一種の “本能” みたいなものだろう。だから選手の側はそれに沿った発言をすることになる。そのことを都合よく解釈して、「選手がそれを望んでいる」と強弁するのは、大人としての責任から逃げようとしていると思われても仕方がないと思う。

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