山本七平『「空気」の研究』

古本屋で見つけた山本七平『「空気」の研究』を読んでいる。高校生か大学生の頃に読んだ記憶だけはあるから、正確には再読ということになる。

改めて思った。40年以上前に書かれた本だが、今でも多くの示唆を与えてくれる。

もちろん、ここでいう "空気" とは、「空気を読む」という言い方で使う空気のこと。日本においては、何とも定義しがたい一種の同調圧力が強くあって、"空気" に逆らわれないまま物事が決定されてしまうということを、多くの実例を挙げながら検証している。

ただし、読んでいると、その当時話題となっていた時事問題について、正直言って今の感覚ではどうもピンとこないところが多い。また、いくつか著者が挙げている事例では、その後の経緯を含めて振り返って見れば明らかに事実誤認しているものもある。しかし、この "空気" がいかに人の判断に大きな影響を与え、時には国家を破壊することさえあるという著者の指摘は今の時代にも十分通じると思う。

論理的に考えれば無謀としか思えない敗戦間近の戦艦大和の特攻攻撃も、その時の "空気" がもたらしたものだという。時の為政者や軍の指導者も、頭のどこかで仮に「否」という気持ちが仮に浮かんだとしても、それを決して口には出せなかった重い "空気" にとらわれていたのだろう。似たようなことは今の時代でも無数にあると思う。

ではどうすれば、この "空気" の縛りから人や社会は逃れられるのか?著者は、この本のほとんどのページで "空気" の手ごわさと、それがいかに日本の社会を覆っているかの記述に費やしていて、そこから逃れる方法について記しているページ数は少ない。

その少ないページに出てくる言葉の一つに "水を差す" というものがある。この危険な "空気" の支配から抜け出すための方法として著者がヒントとして提示している。

自分なりの解釈では、これは今の言葉でいう "わきまえない" ということにつながるのではないかと思う。

重い "空気" が覆っているときに "水を差す" あるいは "わきまえない" 行動をする人を時に激しく、場合によっては暴力的に攻撃する今の時代はどう考えてもおかしい。そのような "水を差す" 行為を排除するのではなく、受け入れることを社会の知恵として、できれば仕組みとして作っていくべきだ。それが、この "空気" に支配された社会の暴走を防ぐことにつながるのではないかと思う。

著者が生きていれば、今の時代を見てどのような続編を書いただろうか?ぜひ読んでみたい。そして、できれば、そこから抜け出すための方法について、研究をさらに続けてほしかったと強く思う。

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