202X年 - ある静かな夜に

夜霧に覆われた街は重く静かに沈んでいた。ブルーのLEDの街灯が霞んで見える。人気はない。男は、前から目を付けていた街灯の陰になる一角にそっと身を滑らせた。音を立てないように注意深く "装置" を解除する。はやる気持ちを何とか押さえつけながら黒いコートの内ポケットから煙草と電子ライターを取り出す。手がかすかに震える。久しぶりの紫煙だ。思わず笑みがこぼれる。

肺いっぱいに煙を吸い込んだその瞬間、電子音とともにオレンジ色の強烈なビームが男の目を射抜いた。ほぼ視力を失った男の目がかろうじてとらえたのは、音もたてずに浮かぶ静音ドローンだった。

「感染症法並びに喫煙禁止法違反です。あなたを逮捕します。そこを動かないでください」という合成音声が三度繰り返される。2メートル以上動くとドローンからスタンガンが発射される。さらに5メートル以上動くと実弾が発射されることを男は知っていた。

2019年に地球上の一点で生まれた新たなウイルスは瞬く間に世界を席巻した。数十度に渡る変異の結果、近接距離での空気感染率はほぼ100パーセント、発症率も5割を超えるモンスターウィルスとなった。対策に手を焼いた政府は、202X年、ついに全国民に対して外出時に空気清浄機能付きマスク装置の着用を義務付けた。あわせて、ドローンを使った国民監視網の整備を一気に進めた。当初は反対意見も多かったが、爆発的な感染者と死者の山を前に、その声も徐々に小さくなっていった。そんな中、喫煙のみならず、かつて "軽犯罪" と呼ばれていた行為への厳罰化法案がすんなり通ったのも、諦めの空気が全国民を覆っていたからだろう。

男は、頭の中で素早く量刑を計算した。1年は固いだろう。前に闇居酒屋のガサ入れで捕まり隔離監獄に入れられた期間も1年ほどだった。しかたがない。浄化装置を備えた家に一人閉じこもっているのも隔離監獄に入っているのも大して変わらない。男は、火のついた煙草を足元に投げ捨てた。

「有害物・危険物廃棄法違反です」。抑揚のない音声がさらなる罪状を告げる。

その時、音もなく近づいてきた無人パトカーが男のすぐ前にぴたりと停止した。スライドドアがゆっくり開く。照準器の赤いランプが素早く点滅している。こちらの左胸に照準を合わせているようだ。

男は観念して、ゆっくりと車に乗り込んだ。

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