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「おーかん、おーかん」と泣いた赤ん坊 2-2022/03/17

 3日前、3月14日月曜に抜歯した。子どものころから歯医者さんとのお付き合いは途切れることがなかったのだが、この7年くらいは疎遠だった。こんなに長い期間歯医者に行かないのは人生初だった。だが、とうとう(涙)、7年前に今度トルブったらもう抜くしかないと言われた2箇所の歯にトラブルが押し寄せた。昨年(2021年)8月に1本、そして今回の抜歯。いよいよ入れ歯デビュー間近、まったくワクワク感のない事態を受け止めねばならない。

 抜歯の作業(処置?)中、何度も聞いた母の懺悔?のような語りを思い出していた。
「乳離れの時、羊羹をうすーく切ったのをあげたら、その後『おーかん、おーかん』とわんわん泣くのよ。泣きに負けてまたあげて、、、結局、さっちゃんの乳歯は虫歯になったわ」
というもの。幼稚園入園前に、治療のための歯医者デビューをしていたことになる。「オヤがわるい!」と歯医者の先生に怒られたそうだ。お母さん♪ナイス・クラウニング!!(注)

 歯医者デビュー時の記憶ははっきりしていないが、小学校4年生の終わりまでお世話になったその歯医者の先生、名前はもちろん、お顔まで思い出せる。「この子は30代で歯がなくなるよ」と私のことを仰せになった先生だ。たしかに、歯医者さんとの付き合いは途切れず、抜歯も数本した。だが、先生の予想は大きく外れ、なんとか還暦過ぎまで入れ歯なし、自分の歯で食べることができた(笑)。

 この先の入れ歯デビューを控え、大好きなじゃがりこをバリバリ食べられるか、カリカリのピザ好きだが気持ちよく食べられるか。そんなことばかりが気になる。余談だが、大好きなじゃがりこの広告制作に、広告会社に勤めていたイトコが関わっていたと去年知った。現在彼は自分の会社をもち今も現役コピーライターだ。「食べ出したらキリンがない」のじゃがりこキリン君を長年愛してきた私には、こんなに身近な人が制作していたとびっくり。

 「おーかん、おーかん」と泣いた赤ん坊時代は、生まれた地である小田原市国府津にいた。残念ながら、赤ん坊のうちによそへ引っ越しているので私自身に国府津の記憶はないが、小田原市発行の母子手帳が残っている。父は国鉄(現JR)マンだった。国府津駅の上に国鉄官舎(社宅)があり、そこが私の初めてのおうちだったことになる。「国府津駅の前は海、うしろは蜜柑山。ほんとうによいとこだったよ」と何度も母から聞いた。朝とれたての鯵を買えて毎日鯵寿司を作って食べたという。なので、母は国府津でどんどん太り、私をおんぶしていると「蝉が止まっているよ」といわれたそう。最後の頃の蒸気機関車がまだ走っていたらしい。おうちの窓を開けていると赤ん坊の私は煤だらけになったとか。引っ越した後も知り合いのツテがあり、蜜柑狩りに行った記憶がある。だが、それもかなり昔の記憶で、その後国府津へ行くことはなかった。

 2004年神奈川県民になった時、ふと、赤ん坊時代を過ごした国府津に行ってみたくなった。駅前に西湘バイパスがどーんと通り、マンションも建っていたから、私が生まれたころの景観とはだいぶ異なるだろう。だが、前が海でうしろが蜜柑山はたしかにそのとおり。海の波のさざめきが、「おかえり~♪おかえり~♪」と聞こえて、なんだかとっても嬉しくなった。もう何年も前に実家はなくなったので一入だった。ずーっと海が大好きなのは、赤ん坊時代の国府津のおかげなんだ~と合点がいった。

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(注)ナイス・クラウニングとは、
 何か失敗しっちゃたりヘマした時、クラウンたちは「まちがっちゃったー」、大阪のクラウンたちは「やってもうたーー」と、もろ手を挙げる。周りのクラウンたちは、「ナイス・クラウニーング!!」と声をそろえる。クラウンの師匠まりちゃん(金本麻理子氏)からおしえてもらった。


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