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「死」を間近で見たからこそ「生」を感じることが増えた

生と死はほんの紙一重なこと、当たり前だけど実感はない人がほとんどかと。心臓が動いている間は生きているし、死んだら止まる。それがどれだけ偉大なことかそう深くは考えてないと思う。少なくとも28歳までの私はそうだった。母の死を経験するまでは。

私は、横たわる母親を眺めながら、幾度となく考えた。生きることと死んだことの間には、いったい何があるのか。さっきまで生きていた母親が死んだという事実を受け入れられず頭が混乱していた。何日も、何か月も、この意味が理解できずに頭をぐるぐる巡っていた。

心臓が止まると、つまりは血液が循環しなくなる。そうすると脳に酸素が行かなくなり体中が機能しなくなり、それで命が尽きる。簡単に言うとそういうこと。結局はそれくらい私たち一人一人は本当に小さな存在でしかなく、ちょっとしたミスで命を落とすかもしれない、紙一重のところで生きていることを痛感した。

横たわる母親を眺めていて、妙なことに気が付いた。うなじの辺りが点々と紫色になっていた。なんだろう。。。

葬儀に向けて白装束に着替えさせるとき、その正体がわかった。血液だ。横たわる身体の全ての床部分に紫色の血液が溜まっていた。当たり前だ。血液が循環しなくなったのだから。ショックだった。頭では理解しても心はついていかない。眠るように見える顔も、やはり眠っているのではないのだと現実を突きつけられる。この時の衝撃はとても文字では表せられない。

死んだ人というのは驚くほど冷たくなる。当たり前だけれど、私たちの顔が温かいのは血液が循環しているから。顔色が赤みを帯びているのも同じこと。体中を血液が巡り体温を保っている。心臓が動くことでそれが保たれている。偉大な人間の身体のしくみに感動する。

夜、先に寝たオットの布団に潜り込むと、暖かい空気が充満していてホッとする(寒い冬の話だけど)。生きているんだなぁと大げさだけど感じる。

身体が温まると頬が赤くなる、汗をかく、健康に生きている証。髪が伸びる、白髪になる、身体が老化していく、そんなことにも、生きている喜びを感じる感性は、死をあまりに身近に見たからなんだろう。

もちろん、ここに至るには十年以上の時がかかったけども

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