強いリーダーシップに支配されない組織開発
企業は、その成長とともに対象市場が広がり、必然的に人員も増えていきます。そこで、広大な市場を持ちながら、市場ごとの事情を容認する支配体制を確立していきます。例えば、事業部制、カンパニー制、そしてホールディング会社の設立や資本関係のみのグループ形成となるような組織体制の変化から、それを見て取れます。なかでもM&Aに代表される企業連合は、資本もさることながら、各企業の独立性を重視した契約関係で成立しているように思われます。
これらに特徴的なのは、自らの成長に基づいて組織体制を変更してきたグループ企業では、そのグループ内における会社組織の境界線が曖昧であり、かつ、組織間移動に制約がないのに対し、M&A等による企業連合では、会社組織の境界線が厳格となる点です。換言すれば、その組織の集合体が、組織文化を共有できる繋がりなのか、契約(あるいは資本)という合理のみでの繋がりなのかということです。
おそらく、社会の変化に対し、前者では柔軟性が担保されますが、後者は硬直的とならざるを得ないでしょう。なぜなら、強いリーダーシップとは、組織文化が共有され、緩やかな繋がりを持った集合体の方が、発揮されやすいと思われるからです。すなわち、微に入り細に入った指示・命令などしなくても、一定の方向性でそれぞれの企業活動が行われ、しかも創発的戦略を内包することができるため、個々の企業体がそれぞれの市場に対して的確な対応がなされ、結果的に全体最適を実現すると期待できるわけです。もし、合理のみで繋がっている企業連合において強権が発動されるようなことがあれば、それは権威主義的な(不寛容な)統治に陥っていくことになり、このような柔軟性は期待できないでしょう。だからといって、権威主義的な強権を排すために民主的な手法が採択されれば、おそらく意思決定に時間がかかり、企業連合とした目的が果たされなくなるかもしれません。このことから、企業連合であっても、合理を超えた繋がりが必要になるものと考えます。
しかし、このような杞憂は、緩やかな集合体として出発した企業グループでも見られます。すなわち、集合体を構成する個々の企業の在り方の問題です。そこには、合理によって結ばれた関係が内在しているのではないでしょうか。このようなある種の矛盾は、体制の脆弱さに繋がるかもしれません。すなわち、集合体が自社を守る存在であれば、その指示に与するが、自社の利益にならないことには関与しないという、保守的あるいはご都合主義的姿勢の台頭を招くかもしれません。自身の発芽が集合体にあり、また、ときには集合体の助けによって存続されてきた事実は、時間の経過とともにどこかに行ってしまうものです。極端な場合、集合体からの離脱、あるいは合理による連合への転換を求めることになるかもしれません。これは反逆というよりも、この矛盾に対する諦めなのかもしれません。しかし、それに抗う機運は、決して消えていないようにも感じます。例えば、パーパス経営という流行を背景に、『安心・安全な場』『1 on 1』など、個々人にまで視点を落として行われる組織文化に根差した施策が多くの組織で行われています。
時代も21世紀を迎え、環境変化のスピードは増し、個々の企業に襲いかかる環境変化も多様化している中、企業経営では意思決定のスピードが重視されています。また、今、与えられた役割を全うすることが最優先され、長期的あるいは全体的視野に立った意思決定はおざなりになっている感がします。そのため、強いリーダーシップに基づく緩やかな集合体よりも、権威主義的統治体制のほうが合理的であるかのように思えます。しかし合理は、強固である分、もろさも併せ持っていることは、十分に認識しておく必要があるように思われます。
強いリーダーシップを求める声が、あちこちで聞かれます。しかし、それはリーダーシップであって権威主義的強権ではありません。おそらく、この違いは、1人ひとりが文化を共有しているか、そして自分を犠牲にしない全体最適を求めているかにあるように思われます。そのために、例えば研修という小さな場であっても、一方的に理解を強制するのではなく、対話に基づき、自らが思考した上で得られる気づきを重視ことによって、少しずつではありますが、このような姿勢が醸成されるのではないかと考えます。
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