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二〇一五年七月

scene 47

新人教師としての日々はすごい早さで過ぎてゆく。俺自身が高校生だった頃、時の流れがこんなに早く感じることはなかったはずだ。
寒河江は初夏で、名物のさくらんぼが最盛期である。夏の高校野球大会の地方予選が控えており、野球部は練習に余念がない。山形県は野球が強い学校は五、六校に限られており、夏の甲子園にはその学校がローテーションで出るようなものだと聞いていたが、学院の野球部はベストエイトまでは順当に進む程度の実力なのだそうだ。他県から野球留学してくる生徒はいないそうだが、くじ運次第では甲子園出場もうかがえる実力だという。
放課後になり遠くから響く野球部のかけ声と球音、吹奏楽部の楽曲を聞きながら、俺は軽音楽部の部室にやってきた。いつものように國井は山形市の進学塾へ行ってしまってここには来ない。西川と大泉、沖津がセッションしており、柏倉は傍らの席でぼんやりとそれを眺めていた。部室に入ってきた俺を見て、大泉が演奏終了を知らせる手振りをした。
「沖津のドラムもすごいな」
いつものクールな表情のまま、軽いロールでドラミングを終えた沖津に声をかける。
「父がジャズ好きで、学生時代からずっとドラムをやってたそうです。子供の頃は父のドラムで遊んでました」
そういえば沖津はスティックをレギュラーグリップで握っている。
「小学校の頃に父がドラムをちゃんと教えてくれて、学校のマーチングバンドにも入ってました」
「なるほどね、上手いわけだ」
リョータローに教えてやって欲しいくらいだ、繊細なスティックコントロールを。
遠くから聞こえる球音のせいか、柏倉の右手は無意識にボールを握っている。
「野球、やりたいだろう」
俺は柏倉の近くへ行って小さな声で話しかける。その語りかけに対し、柏倉は俺を軽くにらみつけてすぐ目をそらす。
「まぁな。でももう、俺の肩は壊れてっから、全力投球はでぎね」
柏倉は見えないボールを握りながら、自嘲気味に笑った。
「前話したよな、俺のいたバンドのベーシストも、高校んときエースで四番で準決勝まで行ったって」
「準決勝は聞いでね」
柏倉はキタと似て寡黙だが、たまに話す言葉には俺に対する敬語は含まれない。
「ピアノ弾けるんだろ、柏倉も入れよ」
俺はテーブルの上に放置されたままのキーボードを指さす。
「ピアノとキーボードは違うんだじぇ」
柏倉は少し挑発的に笑った。
「わかってる。だが、ピアノ弾ける奴はキーボード弾くのにまったく不便がないだろ」
俺はこの部室に置きっぱなしにしている自分のギターを手に取って答えた。自分で初めて買ったギターで、ボディのシェイプだけがレスポールのコピーである安物だ。長年使っているあいだに、自分でピックアップを入れ替えたり増設したりと好き勝手に改造してある。
「賢也、弾いでみろちゃ」
沖津だけがこの静かなる猛獣をファーストネームで呼び捨てにする。学院では、この二人はれっきとした夫婦として扱われているのだ。
「賢さん、弾いでみっべよ」
西川がキーボードにシールドと電源をつなぐ。喧嘩屋西川は、勝てなかった柏倉に敬意を込めて、同級生だがさん付けする。
「柏倉くんもまざれー、おもしゃいべー」
柏倉より背が四十センチ低い大泉が、柏倉を見上げてにこやかに誘う。さしもの猛獣もついに表情をゆるめた。
「俺、コードはわがんねんだ」
「ピアノやってた奴に多いなそういうの」
ミギが最初そうだったと言っていた。彼はもともとピアノから音楽の道に入ったのだと。そして中学のときバンドを組み、その時初めてギターを手にしたのだと言っていたのを思い出す。考えてみれば、あのコトブキとの出会いがそこだったのだろう。
「んだらひさしぶりにやってみっか」
柏倉は学生服を脱ぎ、キーボードの前に座り、キーを叩いた。西川がボリュームを調整してやっている。でかい手だが、驚くほど流麗に指が動いている。
「賢さん、やっぱじょんだず」
「柏倉くんひいっだの、久しぶりに聴いだちゃー」
西川と大泉が、例のお気に入り曲のフレーズを散発的に鳴らす。沖津がフィル・インしながら入ってくる。柏倉が歌メロをさらりと流し込んだ。いやいやどうして、けっこうな腕前である。
「みんな、上手いな、びっくりしたわ」
俺はあたりさわりのないカッティングを入れながら、素直に賞賛した。
「先生におしぇでもらたし」
「けっこうまじめに練習しったんだじぇ」
西川と大泉のカップルが絶妙の間合いでMCを入れた。
「一応私が軽音楽部の部長ですし」
表情を変えないままグルーヴィーなドラミングを続ける沖津が言った。
「バンド名はあるのか」
俺の左手はフレットを動きまわり、細かいカッティングを入れ続ける。
「STAY GOLDだっす」
西川が俺のカッティングに絡ませてフレーズを転調させる。
「いい名前だ」
「先生はゲストプレイヤーだよ、メンバーじゃないからネ」
大泉は笑いながら言う。フレットもピックも見ずベースを弾きながら、リズムに合わせてステップを踏んで歌う。
「ソロの掛け合い、お願いします」
西川のスタイルは大泉と違ってどっかりとしたフォームで体を動かさない。大泉とはいいコントラストだ。
「よっしゃ」
俺はオーバードライブを踏み、ソロを弾く。
「このチョーキングがまだまだなんだ俺」
西川が俺の左指を凝視しながら言い、俺に続いてソロを弾き終わってバンドに演奏終了の合図をした。
「さすがにちょっと疲れた」
クールな沖津が口元をゆるめて微笑んだ。
「久しぶりに弾いだな」
柏倉は肩を回しながら沖津と目を合わせる。沖津の微笑みにつられるように柏倉が少し笑った。柏倉のこんな表情ははじめて見たかもしれない。
「いいバンドだ、STAY GOLD。ゲストに呼んでもらえて光栄だよ」
俺も心地よい疲労を味わう。タバコを一服やりたいところだが、ここではムリだ。
「先生はゲストだけど毎回出演」
大泉が笑う。彼女のヴォーカルは澄んだ高音で、昔対バンになったどの女性ヴォーカルよりも印象的な声だ。男女二人ずつのバンド、STAY GOLDとして塚本社長に売り込みたいくらいだ。
「西川、夏休みに入ったら、一緒に東京へ行こう」
俺は西川に語りかけた。
「JET BLACKに会わせてやる。BBミュージックの社長にお前のことを頼んだ後にな」
「ほんてだがっす?」
西川が素っ頓狂な声を上げた。
「おじいさんにちゃんと報告してな」
「ありがどさまっす!!!」
チューニングをしながら冗談めかしてそう言った俺の前へ、西川が飛んできて直角に腰を折って礼をした。そんな西川に俺は辟易する。
「先生ありがとうございます…」
大泉はいつもの元気さを打ち消し、西川の隣で静かに礼をする。うっすらと涙さえ浮かべていた。
「いや、紹介だけだから、その先は保証できんぞ、だからそんなにかしこまるな」
「太いコネだっす、BBの社長さんに直接紹介してもらえるなんて。俺、給料なのいらねがらJETの下働きばさしぇでけろって頼むっす!」
「私も一緒に土下座でもなんでもします」
未来の夫婦は、真剣な顔である。俺とてふざけた気分で言ったのではないが、彼らの本気は本当に本物だった。
「わかったわかった、俺も頑張って頼むから。理事長は推薦状書いてくれるって言ってるし。履歴書の書き方を指導部に教わって。きれいな字で書けるようにな」
俺はなんとか二人の礼をやめさせ、ギターを肩からおろして傍らの椅子に座った。
「先生、富士男のプロデビューの夢、知ってたんだ」
沖津が俺のそばへやって来て、ぽつりと言う。
「あぁ、前に大泉と二人、ウチに来てギターの練習した時に聞いた」
「富士男、あんなだけど、プロになりたいっていつも言ってたんだ」
「あんなって、俺の金髪は肩まであったぞ。ケンカは弱いけど」
「ふふ。先生、いい人なんだね」
沖津が俺を見て笑った。ちょっとドキッとするような、いい女っぷりだった。まったく、制服を着ていないと雪江や櫻乃より年上に見えるだろう。
「琴音、帰るか」
やはり高校生離れした外見の柏倉がのそっとやってくる。
「先生、富士男のこと気にかけてもらって、どうもなっす」
柏倉がはじめて俺に対して敬語を使った。語尾に「す」を付け加えるのは、この辺りの方言では敬語の基本だ。
「あいづは、音楽には真剣だがら、きっとでぎっと思う」
柏倉の細い目の奥の瞳からは、これまで静かに燃えていた俺への敵愾心の炎が消えている。
「俺もそう思うわ。俺より才能あるよ西川。あとさ、國井にたまには部活に顔出せって言っといて。楽器できなきゃ歌えって」
「ミノルさんは、歌はダメかもしんね。楽器のたぐいはやってるては聞がねな」
柏倉がついににっこりと笑って俺に返した。
「ミノルさんに伝えておくわね、それ」
沖津も笑う。
「お先」
柏倉がぼそっと言って背を向け、沖津がそれに従う。手をつなぐでもなく密着するでもないが、ちょうどいい距離を保っている。
「金婚式迎えた夫婦みたいだな」
独り言のつもりだったが、沖津の耳に届いたらしい。彼女は振り返って、拳で俺を殴る真似をしてまた笑った。
その日の夜、西川の祖父母が正装して石川家を訪れ、俺に長々と礼を述べた。そのうえ「寸志」と書かれた分厚い祝儀袋まで差し出すので、これを断るのに石川宗家全員が動員されたのである。


scene 48

学院の野球部は夏の県大会準決勝進出を僅差で逃した。全校応援の生徒たちを引率して左沢線に乗るべく、球場から駅に続く道を歩いている時に、俺の携帯に着信が入った。知らない番号だ。
「はい石川です」
「アイ?久しぶり。BBの塚本です」
JET BLACKが所属する音楽事務所、株式会社BBミュージック代表取締役社長の塚本真也からの電話だった。
「塚本さ…社長、ご無沙汰してます」
手振りで佐藤さんに電話を続けることを伝え、俺は生徒たちの列からはずれて道端に立ち止まる。
「石川先生だよね今は」
電話の向こうで塚本社長が笑った。
「ははは、なんとか」
「ミギから聞いてるよ、生徒にプロ志望の子がいるって。写真も見たよ」
「えぇ、東京へ行って彼を社長にぜひ紹介したいと思って。学校が夏休みの間、お時間いただけないか連絡しようと思ってました」
社会人生活三ヶ月程度だが、学院でレクチャーを受けて大人の話し方ができるようになっている俺。
「アイが…いやごめんごめん、石川先生が見込んだんなら才能は問題ないでしょ。写真見る限りルックスも満点。面接しなくても即内定だって」
塚本社長が愉快そうに笑った。俺は電話を耳に当てたまま何度もお辞儀をして礼を述べる。携帯を耳にあててお辞儀を繰り返すサラリーマンを見て、昔はバッカじゃねーのと思ったものだが、今その気持がよくわかった。
「ありがとうございます!でもやはり、本人を見ていただきたいです。いつご都合よろしいです?」
「あぁその件。俺がそっち行くから。イシカワ・インベスターズの社長に誘われててさ。一回山形に遊びに行こうって」
「マジすか?」
思わず昔の地が出た。五兵衛さんもなにか動いているのか。
「マジマジ。当然ミギたちも連れてくよー。来週の土曜いいかなぁ?」
「は、はい!ありがとうございます!お待ちしてます!」
俺は大声でまた礼をいい、何度もお辞儀を繰り返した。
「んじゃ、来週頼むわ、アイ」
塚本社長は先輩ミュージシャンの声になってそう言い、電話を切った。俺は携帯を握りしめ、その場でガッツポーズを繰り返す。駅を目指して歩く学院の生徒たちが俺を見てクスクス笑う。
「先生、何してんの?」
厚化粧の五十嵐の声だった。振り返るとちょうど国井たちとその彼女が歩いてくるところだ。履歴書の写真のために、金髪をバッサリ切って丸坊主にしたばかりの西川も笑っている。
「西川、やったぞ、BBミュージックの社長が面接に来てくれるってよ!」
俺は西川の肩を叩いて叫んだ。
「内定だってよ内定、ミギたちも来るってさ」
西川は最初ぽかんとしていたが、事態が飲み込めると飛び上がって喜んだ。
「ほんてがっす?いづだっす?いづ来てけんなだっす?」
「来週の土曜だって、くわしいことはまたな」
西川のことも嬉しいが、俺は正直ミギやキタ、リョータロー、そしてコトブキと再会できることが嬉しかった。
「先生、ありがとう…」
大泉はそう言って泣き始める。背の高い沖津が背の低い大泉を優しく抱いてやる。
「先生、すごいね」
沖津が優しい目で俺を見る。
「すごくないよ、西川の才能は見るもんが見ればすぐわかる」
「内定第一号か、良かったな富士男。先生、どうもなっす」
柏倉は鷹揚に西川に話しかけ、俺にも目礼した。
「センセってやっぱミュージシャンなのぉ」
五十嵐が突っ込みようのないコメントを出す。
「五十嵐、厚化粧だとカミさんにいいつけるぞ」
「これは日焼け防止」
五十嵐が明るく笑う。
「…石川先生」
それまで黙っていた國井がはじめて口を開く。はじめて俺を先生と呼んだので驚いた。
「…富士男を気にかけてくれて、どうも。見捨ててると思ってたよ、あんたら教師は」
「見捨てる?西川を?こんな才能のあるヤツほっとくわけ無いだろうが!」
高揚した気分のまま、俺は國井に告げた。國井の目が少し険しさを薄める。
生徒たちを引率して学校へ戻り、俺は理事長室へ行く。
「理事長、西川富士男の就職のための面接の日程が決まりました。来週土曜、彼が就職を希望している株式会社BBミュージックの社長が、こちらへ来てくださって面接してくださるそうです。電話では内定とおっしゃってましたが」
理事長は書類に目を落としたまま俺の報告に頷く。
「株式会社イシカワ・インベスターズの石川社長、それとJET BLACKのメンバーも同行してくるそうです」
「よかった、さすが五兵衛さんうまくやってくれたわ。部屋は余ってるし、みんなうちに泊まってもらお」
理事長は顔を上げ、母に戻ってにっこり笑った。それにしても裏でなにか動いていたとは。
「面接はここの音楽室で行いましょう。来週は夏休みに入りますから、少々大きな音を出しても許可します。先方へのご連絡や場所のセッティングをしなさい」
理事長に戻った母がまた書類に目を落とした。

その夜、俺はミギに電話をかけた。こちらからかけるのは本当に久しぶりだ。
「アイ、おまえからの電話は一〇ヶ月ぶりだぞ。いくら振った相手でもひどい話だな」
ミギは冗談めかして言うが、たしかに俺はミギを振って雪江を取ったのだ。
「はは、こないだも言ったけど、脱退した身じゃあね、お久しぶり~って軽く電話するわけにも行かないと思ってさ」
周りでは俺が知らない曲が演奏されている。新曲の練習中だろう。
「それもこないだ言った通りだ、アイは創立メンバー、VIPだ。いつでも俺の携帯を鳴らしていい」
「新曲か」
「うん、デビューアルバムは昔からのと新曲と半々」
「いい感じだね」
「新曲は俺とコトブキで書いてる。あいつ、あんなだけど才能のカタマリ」
あんな、というのはコトブキの普段の表情が指名手配の殺人犯のような凶悪犯顔であることだろう。
「やっぱ俺が抜けて正解だ」
俺は笑いながら答えた。
「…また俺を怒らすのか、アイ」
「冗談だ冗談」
ミギが切れかかったので俺は慌ててフォローする。
「社長がわざわざこっちに来てくれるんだってな、ありがとう」
あらめて本題に入る。
「俺は社長に画像見せただけだよ。アイの一番弟子がプロ志望なんだって、って言って」
「ミギが言ってくれたならぜんぜん違うもんな。ありがとう本当に。俺が言うのもなんだけど、そいつ、モノになると思うんだよ」
「メンバーにも画像見せてやったよ。リョータローなんか女の子がかわいいかわいいしか言わねぇんでやんの」
ミギが大笑いする。
「言っとくけどその二人、将来を誓い合ってるから」
ミギがいっそう楽しそうに笑った。
「来週の土曜、来てくれるってな。大変だろうけど頼むよ。社長にはメールでスケジュール送っておくから」
「山形って、初めてだな。ツアーは西の方から回ってるから。下見だな下見」
「新幹線で来るのか」
「バカ、そんなカネねぇよ、ツアーバンで行くよ」
ミギからのメールに添付された写真に写ったワンボックスだろう。
「ホント悪い」
「気にするな、リョータローも免許取ったから、全員で運転してるんだ。コトブキなんかバイトでトラックも乗ってるし」
そういえばあの頃、ミギとキタはいつの間にか運転免許を取っていた。
「アルバムはいつ発売なんだ?」
「クリスマスの予定。JETからお前と雪江ちゃんへのクリスマスプレゼントだ」


scene 49

その週の金曜から学院は夏休みに入った。週末の夕食はだいたい石川家全員が揃う。今日は左沢の軍兵衛さん夫婦が一緒だった。軍兵衛さんは月に一度は石川宗家にやって来ては、父と酒を酌み交わす。もっとも父は軍兵衛さんの酒量にはついていけないので話優先だ。脇で聞いていると結構仕事がらみの話も多い。父の方も月に一度は左沢の方へ出向く。軍兵衛さんは父を兄貴と呼ぶが、まったく血がつながっていないが本当に仲がいい。
「来週五兵衛が客しぇできておらえさ泊まるっていうさげ、孫兵衛ば手伝い頼んだがらな」
祖母が飯を食いながら母に言う。
「あらばあちゃんどうもなー。孫兵衛さ声かげらんなねッて思ったっけのよ。布団出したりさんなねす」
母が軍兵衛さんに酒を注いでやりながら祖母に礼を述べる。
「なに、五兵衛さん来んなが」
軍兵衛さんが母に酌の礼をして、きゅっと杯を乾す。
「ほれ、本楯の、西川の孫。ハーフの。やろこの就職ば、愛郎が口きいっだのよ。ほんで五兵衛もバックアップしったなだ」
父が杯を舐めながら答える。
「なえだて若旦那、さっそぐ仕事しったんねがよー」
軍兵衛さんが笑って俺の背中をバンバン叩く。いちおう俺も酒に付き合っている。
「本楯の鉄次郎爺さまの孫が、おべっだ。孫きかねくてきかねくてケンカばりすんなば、ヤロコなのきかねぐらいがちょうどだ、ってな。おもしゃい爺さまだず」
昔はこの人もそんなもんだったろうという軍兵衛さんが豪快に笑う。
「ほのかわりあの爺さまだば、曲がったこと大嫌いだはげ。西川は無免許運転だの盗みだのタバコだの薬物だのは一切すね。ケンカだけ。んだがら入学さしぇだんだ」
追加の料理を持って居間へ入ってきた母が、夏野菜の煮物の入った大きな器を座卓に置いて方言ヴァージョンで言った。
「ほれでこそ男だず、なぁ兄貴」
軍兵衛さんがあんまり面白くないことを言って爆笑した。
「父ちゃん、うるさいんだず」
翔子さんが漬物が山盛りになった皿を持って居間へやって来て、旦那を一喝する。軍兵衛さんは背筋をぴんと伸ばして反応した。母と祖母が笑う。
「塚本さんに五兵衛おじさんに、JETの人たちかぁ。六人ね、泊まるの」
焼酎の水割りセットを抱えて雪江が居間へ入ってくる。これは女性陣のドリンクだ。
「石川、段取りは」
母が理事長になって俺に言う。
「一一時頃到着予定で、蕎麦処貴船で昼食、一三時より学院の音楽室で、西川富士男の楽器演奏実技を含んだ面接を、株式会社BBミュージック塚本社長様に行っていただきます。面接には、オブザーバーとして同社所属のバンド、JET BLACKのメンバー四人も同席いたします」
俺はなんのてらいもなく学院にいる時の口調で答える。母が理事長を使い分けるように、俺も自動的にモードが変えられるようになっている。
「塚本社長様には西川富士男の採用に関しすでに口頭で内定とおっしゃって頂いていますが、詳細な面接で正式に内定を頂きたいと思っています。なお、塚本社長様は面接後株式会社イシカワ・インベスターズの石川社長様とご商談が予定されております」
「うん、仕事の話したいから仏間貸してって五兵衛さん言ってたから、うちに戻ってくるわ」
理事長が母に戻って答えた。
「終わったら、私らは右田さんたちとトールパイン行こうか」
雪江が焼酎の水割りに氷を入れながら俺に問いかける。
「そうだな、ひさしぶりだし」
「みゅーじっしゃんなて、しぇーおどごばりだべしたー。おばちゃんもみっだいー。おらえなのウチも事務所も、じゃがいもみでなやろべらばんだがらよー」
翔子さんが豪快に笑う。
「ほだなごどないー、タケルちゃんなのシュッとしてしぇーおどごだどれー」
雪江がまぜっかえす。タケルちゃんというのは左沢石川の一人息子で、俺と入れ違いで学院を卒業し、両親を見習って陸上自衛隊に入隊したそうだ。ちなみに五分家でも当主がそれぞれの名前を継ぐが、それまでは普通の名前である。
「社長どバンドの人だは、新幹線で来るのが?」
父が俺に尋ねる。少し酔いが回ってきたようだ。
「なんか、ツアーに使ってるワンボックスに、みんなで乗って来るって言ってましたわ」
俺も少しいい気分になって答えた。ここへ来てから少しづつ酒に強くなってきている。
「なえだて、大変だったら」
父が心配そうな顔で言った。政治家だけに、面倒見がいい。
「兄貴、俺迎えいぐっだなー東京さ。おらえの現場送迎車、こないだ新車にしたさげ」
「んだんだ、お父ちゃん迎えいってけろはー。マサシば運転手でしぇでげー」
「翔子ちゃん、ほだな大変だべしたー」
母は寒河江の主婦モードになっている。
「お姉さんほだなさすかえないー。おらえのタケルば東根の第六師団勤務になるように口聞いてもらたどれー。こだなで足りねー」
この母はどれだけ政治力があるのか。父を凌ぐのではないか。
「んだら軍兵衛、頼むっだなー。んでもよ、おまえんとこの車、左沢石川組てでがでがどかがったはげ、おらえので行ってけろ」
父がゲラゲラ笑って言った。そういえばこの家は小規模なレンタカー屋が開業できるほど車があるのだ。
「どれ、五兵衛さ電話してみっか」
父はかたわらの携帯を取り、慣れた手つきで短縮を押す。軍兵衛さんはさっきのマサシとかいう人に電話をしているのだろう、現場モードで話している。
「もしもし。あぁ、寒河江の石川です。今いいがな?」
電話の相手も石川なのだが。父は五兵衛さん相手ということで標準語で話しているつもりだ。
「来週こっちさ来るということで、学院の生徒の就職に骨折りしてもらて」
若く見えるが実際五兵衛さんのほうが年が上であり、宗家当主である父も軽く敬語を使う。
「なにで来る?はぁそうが、愛郎に聞いだげっと、それはちょっと心ぐるすいさ。いやいや、そういうわけには。んだんだ。あのよ、土曜日の早朝によ、軍兵衛が車で迎えいくから、東京さ。さすかえないよさすかえないよ。向こうの社長とメンバー、集合させておいてけろ。おらえのワンボックスは九人乗りで乗り心地はいいがらさ。あど、みんなウチに泊まってもらって。だからさすかえないよ」
微妙に標準語が混じった、絶妙の会話だ。俺は笑いをこらえるので精一杯だった。
「軍兵衛、来週土曜日頼む。愛郎も行け、ほれ、五兵衛と打ち合わせすろ」
父は俺に携帯を手渡した。
「五兵衛おじさん?このたびはどうもありがとうございます…いやそんな、とんでもないです、塚本社長はおじさんの後押しがあったから…。ほんとどうも…で、待ち合わせは渋谷の事務所で」
俺は軍兵衛さんを振り返る。
「日付変わる頃に出て、五時には着ぐ」
「時間が早くて申し訳ないですけど、五時半に事務所前へお迎えに。は、はい、どうもすいません」
五兵衛さんは、新幹線に乗るとしてもそんな時間に出なきゃいけないから一緒だと笑い、電話を切った。
「楽しみねぇ、若い男の子が四人もうちに来てくれるなんて」
完全に酔った母がケラケラ笑う。
「お姉さん、私、当然手伝いくっかんね」
翔子さんも酒が回っている。
「右田さんたちに会うの久しぶりだわ~、パインに連れてこう、サクラたちも喜ぶよ、店にプロミュージシャンが来るって」
雪江が漬物をかじりながら酒を飲み干し、俺を見て微笑んだ。

(「二〇一六年八月」へ続く)

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