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二〇一五年九月 壱

scene 61

西川の就職内定の方はスムーズにことが進んだわけだが、いっぽうの大泉の方はなかなか大変だった。父親が頑として首を縦に振らない。そんなに簡単に芸能界で生きられるわけがない、詐欺に決まっていると主張する。俺は二度ほど家庭訪問し説得したが、三度めは理事長に同行してもらった。
「だいたいおらえの婿だがて元ミュージシャンだじぇ。芸能人みでなもんだ。この事務所の社長どは直接私が話したげっと、詐欺師なのでねぇごどは保証するい。いいチャンスだがら、春陽ば東京さ出してやれー。ダメだっけげば帰ってこさせればいいだげだべした」
理事長は地元モードになって優しげに説得する。さしもの父親もついに折れた。
「理事長、先生、どうもありがとうございましたー」
大泉が玄関の外まで出てきてペコリと礼をする。
「気にしなくてよろしい。ではまた」
理事長モードのまま車に乗り込む。そして当たり前のように車を出し、走り去った。
「理事長、ホント家と学校で違うー。同じトコに帰るんだから先生を乗せてけばいいのに」
「理事長の自家用車に、新米教師が乗せてもらうなあんてありえないよ。俺が運転して理事長が乗るならともかく」
俺の免許取得は結婚式直前になりそうだ。
「先生、なんたっけっす」
西川が走ってきた。大泉とは幼なじみであり、家が近所なのである。
「理事長も来てけで、お父さんやっとうんってゆてけだー」
「ほんてが、いがたー、ほんてんいがった」
二人は抱き合って喜ぶ。抱き合っていても何もいやらしさがないところが彼らのすごいところだ。幼い頃からずっと一緒だったからだろう。
「先生、ほんてん、ありがどさまっす、俺、一生忘れねッスこの恩」
西川があらためて深々と俺に礼をする。
「やめてくれ西川、俺はそんな偉いもんじゃない」
「んだってほんてだも。先生いねっけごったら、富士男なのまだどごがで喧嘩して、今度こそ退学だっけはー」
大泉はやろうと思えば完全な標準語を話すが、訛りを解放すると西川や櫻乃並みのネイティブになる。そして二人並んでまた深々と礼をした。
「わかったわかった、もういいから、ありがとうな二人とも」
二人の真摯さに俺のほうが泣けそうになってきた。俺は話題を西川の夏休みの付き人生活に振り、しばらく路上で談笑する。
「あー、美優」
日塔が向こうから歩いてくる。そういえば彼女もこの地区だ。日塔は俺に気づいいてちょっと複雑な表情を作ったが、大泉がいるせいか和やかな顔になって寄ってきた。
「大泉先輩、西川先輩、先生、こんばんわ」
「おう、日塔。散歩か」
「アイス食べたくなって、コンビニへ」
日塔は普段からほとんど標準語で話す。
「美優、聞いて、私富士男と一緒に東京行って、音楽できるようになった。お父さんがやっと認めたの、先生と理事長が説得してくれて」
大泉は日塔に合わせたものか標準語になる。
「えーほんとですー?良かった、先輩の夢でしたもんね、西川先輩と一緒に音楽やってくの」
「なんもかんも、石川先生のおがげだず」
「だからもういいって」
西川がまた言い始める。
「西川先輩たちが卒業したら、軽音楽部は入部可能になるって山口先生が言ってました。私、来年軽音楽部に入部したいです」
「そうね、ちゃんと引き継いで」
「…大泉先輩、私もベースギター弾きたい」
「ギターでねぇのが」
「ギターは誰?美依?美緒?」
「…石川先生…のギターを…ベースで…支えたい、な、って」
「先生はプロだずー、おまえが支えるってが」
西川がゲラゲラ笑う。大泉が日塔の想いに気がついて、西川の尻を叩いた。
「バカ」
西川は大泉の静かな怒りを理解できず、目を丸くした。
「美優、ベース教えたげるよ。軽音楽部に入んなさい。ねぇ先生、頼み事ばっかりで悪いんですけど、軽音楽部の入部申請受付の停止、解いてもらえませんか」
「理事長と指導部長にかけあうよ」
俺は大泉にそう答え、日塔を見て笑いかけた。
「大泉ほど上手くはないけど、俺もベースは弾けるから、基礎くらいは教えてやれる」
日塔が初めて心からの笑顔を俺に見せた。
「先生、入部申請受付停止はじぇんぶ俺のせいみでなもんだげっと、春陽の頼み、聞いでけらっしゃいっす」
「だっからアタマさげんなって富士男ぉ」
俺はJETのアイの声で西川に言った。
「今、ミギさんみでえだっけっす、先生」
西川が驚く。
「ったりめえだよ、あいつとは一生モンのツレだからよぉ…ってあんましこういうしゃべり方しちゃいかんな、教師としては」
後半は教師に戻ってそう言うと、西川と大泉が笑う。日塔は俺のあまりの変化に唖然としていた。
そこへ、雪江のフーガが近づいてきて、軽くクラクションを鳴らす。ハザードをつけて路肩に駐車し、雪江が降りてきた。
「あーくん、迎えに来たよー。春陽ちゃん、聞いたよ理事長に。おめでと」
「雪江様ありがとうございます。石川先生と理事長のおかげです」
「ありがどさまっす」
「まぁまぁ、もういいからいいから。美優ちゃんも近所だったねそういや」
「こんばんわ雪江様」
日塔は和やかに礼をする。雪江が一瞬、おや、という表情になるがにこやかに礼を返す。
「さてさて、もう夜も遅いから、みんな帰りましょうね」
雪江が高校生たちを促す。
「先生、雪江様、おやすみなさい」
「おやすみっす」
「…」
西川と大泉が帰っていく。日塔が礼だけして帰っていった。俺は雪江の車に乗り込んだ。
「美優ちゃん、なんかふっ切れたみたいね」
「そうみたいだな、前みたくキョドらなくなった」
「少し大人になったのかな」
雪江が笑う。
「軽音楽部に入りたいってさ。大泉の後輩だし、ベースやりたいってよ。軽音楽部の入部禁止解いてくれって大泉に頼まれた」
「あらあら、仕事が増えたねあーくん」
「新人だし、すげえ忙しいわけじゃないから」
「頑張ってねあーくん」
雪江がにっこり笑う。たしかに日塔はふっ切ったようだ。雪江に遠慮するのをやめると。別れ際、日塔は小さな声でたしかに俺に言ったのだ。
「おやすみ、あーくん」


scene 62

後日、俺は大泉に頼まれたとおり、軽音楽部の入部申請停止を解除してくれるよう、大畑指導部長に相談を持ちかけた。指導部長は思いのほかあっさりと俺の提案を受け入れてくれた。西川を更生させたのだから、軽音楽部は不良生徒のたまり場ではなくなったとの理由だ。ただし、部室の壁に描いた落書きをすべて消すことが条件である。
部室へ行きそれを西川たちに伝えると、描いたのは俺だから俺がやると、國井がペンキを買いに出かけていった。自家用車通学している國井だけに、四〇分ほどで戻ってきて、夕暮れまでには部室の壁をクリーム色のペンキで塗って、落書きを消した。
「そろそろ消さんなねぇと思ってた」
國井はそう言い捨てて、山形の予備校へ向かった。
次の週には、掲示板の目立つ場所に、軽音楽部の入部申請禁止を解く、と大畑指導部長名で告示が貼られた。生徒たちが興味深げにそれを見ている。その日のうちに菅野たち三人と二年生の女子一名が入部申請を提出してきた。
放課後は教員同士の勉強会などやることは多いのだが、軽音楽部の部室には行きたくなる。西川と大泉の技術向上を見たいのもあるが、何より俺がギターを弾きたいのだ。雪江にも石川家にも学院にも申し訳ないが、これは動かしようのな事実なのである。
今日はまだ部員は誰も来ていない。部室で俺は披露宴で雪江が歌う伴奏の練習をする。雪江とは家で毎日のように練習をしている。今まで雪江の歌など聞いたこともなかったが、けっこうな高音で歌うのには驚いた。ついでに、歌詞は雪江が書いたのだ。
そんなことを思い出してニヤニヤしながらギターを弾いていると、部室の戸が開いた。
「来たかー。始めるか」
西川か大泉と思って振り返ると、日塔が微笑みながら立っていた。
「大泉先輩たちだと思ったんですか」
日塔は同級生の中でも背が高いほうで、細身で色白である。肩にかかるかかからないかくらいのショートボブで、フチのないめがねをしている。俺のと同じタイプのものだが、彼女のメガネは入学式から変わっていないので、これは偶然だろう。
「聞いたことない曲ですね」
「あぁ、新曲かないちおう」
「私、DVD買いました」
「お買い上げありがとうございます」
俺は日塔に丁寧に頭を下げた。鈴のような声で笑う。日塔は普段マニッシュに振る舞うところがあるが、地声はアニメ声などと言われる声質だ。
「先生、カッコ良かった」
「ははは」
なんと答えていいかわからなかったのでとりあえず笑ってみる。
「私より髪長かったんですね、金髪で」
「実は、あの時の金髪はカツラだ。もう脱退決意してアタマ丸坊主にしたから。西川みたく」
俺は無意識のままギターを弾いている。
「へぇー」
「まぁ全盛期はたしかに日塔より髪が長かった。むろん金髪」
「結婚式と披露宴、再来週ですね。クラスでお祝いの寄せ書きします」
「ありがとう、でもそんなこと先に言っていいのか」
「あ、そうか、ナイショって美依が言ってた」
俺たちは顔を見合わせてくすくす笑った。
「さっきの曲は、披露宴でカミさんが歌うために作った」
「…雪江様のことは大事ですよね」
「あたりまえだ」
「先生、私、目標っていうか、夢が出来ました」
日塔もミュージシャンを目指すとか言ったらどうしよう。
「私、何年かかってもいいから、あーくんの愛人になる」
俺はマヌケな音を弾いてずっこけた。
「ななななな何を言う日塔」
「だって、あーくんの中で雪江様は絶対一位でかなわない。だったら二位目指します。必ずなる。あーくんの愛人に」
マラソンとかと勘違いしてないか日塔。そしてなぜその名で呼ぶ。俺は動揺を抑えつけて、なんとか薄笑いを浮かべることができた。
「はは、いつになるかな。それと、先生と呼ぶようにな」
少し声が上ずっていたかもしれない。
「ごめんなさい、心のなかでだけ呼びます…でもほかに誰も居ないときは、呼んでもいいですか」
「だーめー。その呼び方は家でだけなんだ」
「でも、櫻乃様はそう呼んでました」
アチャー。そうだった。櫻乃は雪江に合わせてそう呼ぶ。
「訂正。家族と友人だけ」
「愛人は家族ですか、友人ですか」
日塔はあくまで愛人になるつもりらしい。
「んーどっちかって言うと友人なんだろうかな…ってバカ」
思わずノリツッコミしてしまう俺。日塔が可愛らしく笑う。俺と7歳も違うのだ。妹だ妹。
日塔との会話が終わるタイミングを見計らったように、西川と大泉、沖津と柏倉がやって来る。その後には菅野と鈴木、そして初見の女子生徒が続く。
「先生もう来ったっけんだがした、申し訳ねぇっす」
西川の言い方がそらぞらしい。こいつら、今の会話を外で聞いてたか。
「よろしくお願いします」
菅野が真面目な顔で挨拶する。
「美依と美緒、美優は私つながりで入部、さつきは琴音つながり」
大泉がケースを置いて中からベースを引っ張り出して言う。
「石川先生、はじめまして。二年の菖蒲さつきです」
「あやめとはめずらしい名字だね」
「このへんではそう珍しくないです」
「日塔とか沖津とか、俺にはじゅうぶんめずらしい名字に思える」
「私、ギターが好きで中学からやってました」
菖蒲がニコニコして言う。中肉中背、髪が少し長めなくらいと、まったく普通のお嬢さん的な生徒だ。
「へぇ、何が好きなの」
「デスメタルです」
外見とまったく違う音楽的志向に、俺はまたずっこける。
「俺のせいで入部でぎねぐしてしまて、われっけな」
「西川先輩のギター、いっつも遠くで聞いでましたー。じょんだど思ったっけ」
西川が優しげな表情で菖蒲に話しかけ、菖蒲も喧嘩屋を恐れるでもなく応える。
「さつきのギターも中々のもんだよ、先生」
沖津がいつものクールさで言う。
「ほーお。弾いてみるか」
俺は菖蒲に例の改造レスポールを渡す。
「うわー、なにこれレスポールなのにシングルコイルがセンターに仕込んである」
「うわいきなりそこか」
中々侮れない。西川も同じように思ってか菖蒲を凝視する。エフェクターのつまみをチョイチョイと調整し、ガチャガチャ踏んでみてから慣れた手つきでアンプのボリュームを上げる菖蒲。
「行きまーす」
いきなり轟音のタッピングが炸裂した。俺と西川、大泉が絶句する。
周囲に気を使ってか、フレーズ二回で終了した。
「…なにおまえ、すげえじょんだどれ」
「独学なんでこれしかできません」
「それだけできれば充分だ」
「美緒と美依は何やりたい?」
大泉が尋ねる。一年の菅野たちよりもずっと背が低い大泉だが、面倒見がよく包容力に富んだ生徒だ。
「私ピアノ習ったっけの先輩。キーボードでぎます」
菅野が明るく答える。
「私なんにもやったごどないんだげど、いいべが」
明るい鈴木は少し不安げだ。親友の菅野と日塔が入部するからと申請してしまった感満載である。
「ドラムやってみたら?ここのドラムは部の備品だからすぐ始められるわよ」
沖津と鈴木の会話はなにか親子のようである。
「賢也は美依の面倒見るんだよ」
柏倉が真っ赤になった。
「じゃあ、来週から楽器を揃えて練習しようね。私は特進補習とかで来れない日があるけど、美緒ちゃんの指導はなるべくやるから。今日から賢也が部長代理だよ」
部長らしく沖津が一同をまとめた。沖津は特進クラスの一員であり、成績は常に上位だ。不良のたまり場として軽音楽部を強制的に廃部できなかったのは、成績優秀で人望の篤い沖津が部長を勤めていたからだ。いきなり代理を言い渡された柏倉は、目を白黒させている。
「石川先生、ベースギター買いに行くのにつきあってください。アドバイスして欲しいです」
日塔が真面目な顔で俺に話す。
「それなら大泉に」
「私、今度の休みは富士男と出かけるし」
大泉が訳知り顔でニヤッと笑う。
「結婚式前ですいませんけど、よろしくお願いします」
沖津もニヤニヤしている。やはりこいつらは全部知ってるようだ。
「いちおうカミさんの許可が出たらな」
「何なら俺が頼みにいぐっす」
西川まで調子に乗って軽口を叩く。
「ダメとはいわんだろうけど一応な」
俺は平静を装って軽い口調で言う。しかし結構やばい状況ではないかと。
「まぁ、よろしぐおねがいします。新入部員のためってごどで」
柏倉までがニヤッと笑った。柏倉のこれだけの笑顔を見たのは初めてかもしれない。
「わかったわかった。とにかく、目標は陵山祭のステージ発表だぞぅ」
陵山祭とは学院の学校祭のことで、一〇月半ばに開催される。山形県名物の秋の風物詩、芋煮会の時期と重なり、校庭の一角で芋煮鍋が出て「学院の芋煮」として地元にも人気とか。
今日は新入部員たちは帰っていった。大泉と西川は日課になった練習を黙々と続ける。彼らはその道を選んだので表情は真剣そのものである。
「センセ。美優ちゃんをうまくはぐらかしたね」
沖津が隣に来て、小声で俺に話しかけた。まったく、雰囲気は雪江以上に大人っぽい生徒だ。
「やっぱり聞いてたか」
「ううん、聞こえなかったよ。でも美依ちゃんと美緒ちゃんが私と春陽に全部話してくれた。美優ちゃん、センセのこと見ると胸がどきどきしちゃうから見ないようにしてるとか、センセに話しかけられたら嬉しくて泣いちゃうかもしれないから、話しかけられないように遠くにいたとか。だいたい、あんなに男っぽく振る舞ってた子が、すっかり女の子に戻っちゃったのはセンセのせいよ」
「おいおい」
「わかってる。雪江様が大事なのはわかってる。でもね、あのくらいの歳の子はそうなっちゃいやすいのよ。妹だと思ってつきあってあげて。じきに冷めるって、あーくん」
「俺をその呼び方で呼んでいいのは、家族と友人だけだって言ったろ…沖津、おまえホントはうちのカミさんより年上なんだろ、正直に言え」
「うっさい」
沖津がひじで俺の腕を軽く小突き、笑った。
その日の夜、寝室で雪江に今日のことを話す。愛人云々は伏せておいた。
「美優ちゃんがあーくんに憧れるのは仕方ないね。いいから土曜日いってらっしゃい」
「式の前の週なのに、悪い」
「私らはやることないじゃない?大丈夫よ。私が車で乗せてこうかと思ったけど、それじゃ美優ちゃんが面白くないわよねぇ」
雪江が俺に顔を寄せてニヤニヤ笑う。
「俺はなにもないよ。日塔は俺の担任するクラスの生徒だからな」
「もし美優ちゃんにムラムラ来たら言って。また制服着てあげる」
「もうやめてくれ…」
雪江は本当にお好きなほうだ。
「七つも下じゃ、妹どころか姪っ子だな」
「恋愛に年齢は関係ないと思うよぉ」
「どうしても俺をコロシたいんだな」
俺は笑って雪江を抱いた。
「ハンゴロシくらいはやってみたいナ」
雪江がそう言って俺の唇を吸った。その夜、セックスに淡白な俺にとってはハンゴロシともいえる回数を要求されたことは置いておく。

(「二〇一五年九月 弐」に続く)

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