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二足のわらじ、三足はどう?

こんにちは。マガジン二つを設定してこちらの「日記」はまだ2つめの記事。noteの良いところは、初めまして、の方達にも書いたものを読んで貰える、という点(なのですネ?)。・・せっかくなので少し振り返りながら、自己紹介的なアングルからもまずは書いてみます。

これまで私はウェブ上でのみ広報活動を展開する形で20年、仕事をして来ました。個人事業主です。オンラインショップとセラピーのようなこと(ヒーリングというスピリチュアルな手法を使った癒しの仕事)をしています。

2004年の春、離婚した直後の差し迫った状態で、娘を保育園に入れて仕事をするためにと思いついたのがウェブショップの創業でした。それから何とか続いているのは奇跡的・・お客様との有難い出会いのお陰です。

ショップ等の運営というよりも、今回 noteにもう一つの創作用ともども二つのアカウントを作るに至ったまでの、本来パソコンどころかキカイ音痴の私が、頼らざるを得ないうちに20年の付き合いとなった、ウェブでの発信・・という部分を軸に、振り返ってみたいと思います。

最初から今までもずっと、PCはマックで、自営業で事業主で来ているので、ウインドウズはなんと一度も使ったことがありません(笑!)・・使い方も分からないです・・最初は2001年に、当時娘がハイハイからつかまり立ちをし始めたくらいのタイミングで、お昼寝すると時間が出来る合間を見計らい、ホームページを作るという試みを始めました。

乳児の最初の時期は、数時間おきに起こされる、みたいな過酷な修行期間ですが、長時間お昼寝と夜寝をするようになった頃って、意外と母たちは(子供が一人であれば)手が空く時間が出来るのです。チャンスですよ!(笑)

当時はまだ、SNSどころか、ブログさえありません。HPは専用の作成ソフトで自分で作って(出来る人はタグで自分で書いたりして!)それをFTPというツールで、ウェブ上に転送する、という手間の掛かる作業でした。作成ソフト、画像処理ソフト、FTPソフト、などを用意して、それぞれの使い方をマスターしなくてはならず、苦手な私にとっては混乱と困惑のスタートでした。ブログが無い当時、掲示板、というツールをホームページに連動させて、日記を綴ったり、読んでくれた人々と交流したり。

まだ起業前なのにHPをなぜ作ったかというと、二十代前半の元気な頃に、奈良大和路を中心に国内外を一人旅していて、その記録や、研究者を志して頓挫したものの自分なりに興味あることについて探究を続けて(古代史や考古学・民俗学など)論文「のようなもの」を自主的に書いていたので、それらを載せるために。

そうそう、まだスマホが無い時代です。今は、PCで何かしようとしても常に、スマホやタブレットなどのデバイスと共用できるように全て構成されていると思うので、たとえばこの noteの文字の大きさなどもそうですね。当時はみんな細っかい文字で打っていたし、画像なんかも小さかった。「重くならないよう」小さめにしていたし。

懐かしいな。素材屋さんをしている個人の方がたくさん居て、それらをお借りして、HPを開くと花びらが舞ったり音楽が鳴ったり・・今でもありますが、だいぶ少なくなりましたよね。全てがスマホ中心に移行しているし、クラウドで何でも、ブログでもSNSでも、個々のHPでさえも存在していて、自分でわざわざFTP転送などをしなくても良くなっている。

そんな技術の変化に、数年前にかなり戸惑いながら、自作してサーバー上に転送して運営していた、ショップと、サロンのHPをそれぞれ、昨今のスタイル(クラウド型)に切り替えました。人間て、最初からそのツールでスタートする事よりも、一度慣れ親しんだやり方と、それで固まってしまった思考回路を手放す方が、よほど大変です・・その意味で、最近始めたのではない私は、この10年前後のウェブの世界の進化に、かなり苦労して、旧スタイルを手放し、新たに学習しながら時代に適応・・の努力をしました。年寄りっぽいですが・・本当に。

こちらのnoteも、本当に便利に出来ていて驚きの連続です。時代の波に乗っているツールというのは、使いこなせたらその恩恵も大きいですよね。

自作のHPで表現活動をスタートした2001年から、ショップを始めた2004年までの3年間は、乳幼児の子育ての合間合間に、小説やエッセイ、過去の旅行記、論文(ぽいもの)などをサイトに載せて人々と交流したり、メルマガも、多い時は5本くらい運営していたような気がします・・内容は、上記の書き物と同じ路線で、また、自分自身が「ヒーリング」と出会って癒されつつあったことから、徐々に「癒し」をテーマに。

そういえば、癒しの情報を集めたリンク集・・みたいなサイトも運営した時があったっけ。同時に劇的な本や思想との出会いや、神秘体験のようなものを経て、「超古代歴史大河小説」なるものを、すごい勢いで執筆し始めました。その「目覚め」は離婚へと(笑)。

(喧嘩別れしていない元夫は、一応今でも穏やかに連絡を取れる状態をキープしています・・親戚のような位置付け。)

源氏物語よりも長い「太古」の架空の文明を舞台にした歴史小説を2作描き終える頃、ネットショップに続いて開業したセラピーサロンと、二足のわらじで歩行しながら、新潟→奈良→横浜、現在は東京都へと拠点を移して、必死で駆け抜けること20年。4歳だった娘、シュタイナー学校への転入を経て、大学進学、そして卒業し今では成人。

そろそろ執筆活動も再開したいな。という気持ちで去年 noteに作家アカウントを作っていましたが、

ショップと、ヒーリング方面の仕事で既に二足のわらじだし、色々試してみるも、やはり三足履こうとすると、歩けない、歩きにくいのかもしれないと。そう言えば、ヒーリングサロンをスタートしたのは、超古代小説の2作目を完結させて、有料メルマガでの配信を終えたタイミング、でした。引き換え、というか。わらじを履き替えたのだな、と、15年を経た今になってようやくその仕組みに気づいて。

ならば、ショップなり、サロン&スクールなり、どちらかに区切りをつけないと、創作活動には戻れないのかもしれないな・・と。そのどちらの可能性も(どちらかのわらじを脱ぐという可能性も)想定しながら、この20年の仕事振りを整理していくひとつの拠点のようなつもりで、noteで文章を綴ったり、情報の整理集約をする場として、動き出した所です。

さてさて、どうなることやら。一つだけ自分で準備している事ととして、創作に戻るならば、今履いているどちらかのわらじを脱ぐことになるとしても、どちらであっても、残念に感じたり執着したりしないという心の準備、整理をしています。すぐに出来た訳ではなく、ここ2年くらい掛けて。

・・・とまあ、常に頭をフル回転で自営業、自由業ってほんと大変ではありますが、遣り甲斐はある。(短大を出てすぐ新卒で普通の会社にも入りましたが、入社前の研修時点で逃げ出したくなり、入社して一ヶ月で自律神経失調症になりました。なんとか2年弱勤めましたが、向いていないようで。)

昨今、若い世代は起業したり、特に女の子も、事業や法人を立ち上げるなど、活躍が目立ちますね。地球を愛するものとして、持続可能な社会の実現のために、50代に差し掛かる今、わらじを履いたり重ねたり脱いだりしながら、自分の道を歩き続けていこう。

志ある人は、どうぞ怯まず頑張って。意志あるところに道は拓ける。

志ない人は、それはとても勿体ない事だから、何となく時間が過ぎないうちに、自分の心や意志を見つけて、人とは違う自分だけの道を。

Love and Grace