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疲れた人にはちょうどいいかも 3

こんにちは。私の記事を見て頂きましてありがとうございます。私が最近感じたことを日記のような感じですがしたためておきたいと思います。

こちらで記事にしている内容は私の個人的見解を述べさせていただいているだけですので、科学的エビデンスやスピリチュアルな部分、何かについて正しい、正しくないといった専門的な内容につきましてはご覧いただいた方によってご判断、見解をしていただければと思います。

日々の情報と向き合う中で私が大切だと思う事は、当たり前かもしれませんが、自分の事は自分で考えていくということではないでしょうか。

人は人に囲まれ、人の為に生きて、人目を気にして、人がどうするかが気になる。
人が言っている事を信じてしまうし、また他の人がしていればそれは正しい事だと思って行動する。
誰かがこうしてくださいと言えば何も考えずにその通りにする。

全く否定するつもりはないのですが日本人のいい部分であり、悪い部分でもあると思います。

メディアが正しいとか、ネットが正しいとか、それはメディア側からしたらこちらが正しいというのは当然だし、ネット側からみたらメディアは嘘ばっかりで真実はこうです。のようなお互いに自分たちの都合の良い情報を流しているだけなので、どっちもどっちのような感じを受けます。
どちらを信じてもそれは個人の自由なのですけれど、どちら側が正解でどちら側が不正解という事は考え方として良いのかどうかと思いますし、受け取る側の感じ方や考え方によって変わってくるものだと思います。
どちらか側だけが真実で、どちら側だけが真実。という「真実」だけにフォーカスした考え方で、人間が生きるには必ずどちらかの真実に沿わなければならないといった考え方になるとそこで思考が停止してしまうような気がしてしまいます。つまり真実が正義でなくてはならなくてその真実が真実かどうかその人の見方によって変わってしまう(思い込んでしまう)事もあるかもしれないからです。

様々な情報に触れて気付いたとか目覚めたとかいろいろな考え方をしてもいいとは思うのですけれど、実際(真実)かどうかは私たちが目に出来る情報だけではわからないと思います。少なくても真実と呼ばれるものは出てこないから隠されるから真実なのであってメディアやネットに転がっているものではないと思います。
隠されているのが普通だと思います。
一方の情報を疑う事が目覚めや気づきというならばそのような見方は必要だと思いますし、そこで思考の歩みを止めずに終わりの無い思考を続けていきたいと思います。

ネットの情報をはじめてみた人は陰謀論だらけだと思う(思い込んで)いることでしょうし、ネットの情報側だけを真実だとを信じている人はメディアは嘘ばかりついているということになると思います。
そのような情報ばかりなのでそれは無理も無いと思いますし、それはメディアも同じことだと思います。

大切なことは「そういう考え方もあるよね。」と自分とは少し距離を置いた考え方をして両方の視点から自分の頭で考えるかどうかだと思います。
目覚めたとか気付いたと思っている人がいてもいいと思いますし、実際にそんな世の中が歴史で繰り返しているだけなのかもしれませんし、未来は誰かの思惑通りに進んでいるのかもしれません。なにかのスケジュールの通りに進んでいるのかもしれませんし、明るい未来が想像できないかもしれません。
それはその人たちが昔から計画をしていたことかもしれませんし、それに対してそうでない人が今まで何をして生きてきたかを考えてみれば「陰謀論だ!」という前に今まで自分がどのように生きてきたかを考えて今一度、自分の事を振り返っても良いかもしれません。それも一つの考え方だと思います。
日々情報を発信してもらえるのは見させていただく側としてはありがたいのですが、人を不安にさせるような過激な陰謀論の片棒を担ぐのが一生懸命な人もおられるようですし、冷静に分析をした情報もあると思います。発信者個人の性格や考え方によるものだとは思いますし一つの情報丸写しという情報もあるように思います。
実際に陰謀もある事もあるとは思いますけど。そのような考え方もあると思います。
ただよほどの機密情報であれば、間違えてもそのような情報が洩れる事は無いと思いますし、メディアでわかり易く陰謀じみたことを放送してしまうことなどありえないと思います。誰もが気付きそうな映像を流したりとか。そのような視点と意図をくみ取れるように思考する事を持って私も日々情報に向き合っていきたいと思います。

肝心なのは今後どういう未来が待っているのか(誰かが作り上げていく世界)ではなく、自分たち(個人個人)がどういう未来を作りたいのかが大切だと私は考えています。

少し考えてみますと、今まで命を繋いで残してくれたご先祖さまや名前もわからない、いろいろな人たちのように自分も周りの世界に何を繋いで何をどう残して生きて行きたいのか。
それぞれどのような生き方をしていようがいまいが、誰かに自分の人生をゆだねるのでは無く、自分はこう生きる、生きたいんだという考えを持つことが出来たら、何か変わってくるのかなとも思いますし自分がそのような考え方を持っていたいと思っています。

人間が本当に環境に出来る事は何なのか。そもそも地球に対して人間が何をすることが出来るのか。ただ飯食いと言われても仕方が無いのだろうか。
本当に助け合いが出来る国(政府頼みでは無く国民性)とはどのような国なのか。皆が同じ方向を向かなければならないのか。それとも一人一人が自立して活躍できる社会がいいのか。それはどのように向けていくかではなくどの方向に向くかだと思いますし、それは誰にもわからないと思います。

今その考えるきっかけをさりげなく誰かに頂いているような気もしています。
今後の食糧危機がどうのこうの言う前に今自分たちが日々廃棄をしている食品はどれくらいあるのか。またそのほか見えない部分は何があるのか。
生産者さんや畜産、地球にに心から感謝をして食物、命を頂いているか、そもそも日々様々な事に感謝をして生きている事が出来ているか、環境に悪い事ばかりしていないだろうか。
日々忙しかったり大変な事もあると思いますが、ふと、先祖の事とか昔の友人、道端で歩いている人、働いている人、今見ている景色やそこに咲いている花や流れている川など肉眼で見える物を息を抜いて見てみますと全ての物は繋がっているんだなぁと思いますし、目に見えない物も繋がっていると感じたり感じれなかったり。
そのような当たり前の日常に感謝の気持ちを持つことが出来るかどうか。
生かされているだけでも十分感謝出来るのですけれども、欲を言えば自分の人生を歩みたいし歩むための努力を惜しみたくない。

自分の頭の中の自由と行動の自由と自由な未来は自分で作りたい。

何か個人が大きな行動をする必要は無いと思いますが、個人個人それこそ1億人くらいの人が個人個人でそのような小さな行動が出来れば自然と大きな行動になってくるのではないかと思います。いづれにしてもなるようにしかならないといいますか、なるようにしていくといいますか。

最近ふと思ったことを今回は記事にさせて頂きました。
こういう考え方もあるなと日々の思考の一つにしていただければと思います。

日記程度の短い文章でしたが最後までご覧いただきましてありがとうございました。
皆さん「賢く、謙虚に、注意深く、勉強熱心」を心掛けて
何よりも自分の体と精神を大切にして、あなたひとりひとりが大切な存在です。そして心から皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。
またお時間ありましたらお付き合いください。
ありがとうございました。

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