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いつかまた、心から笑える日がくる

いろんな症状から、予定日より早く生まれてくるんじゃないかな、とは思っていた。だから、出産準備は早めにしようと、部屋の模様替えや、マルが来ていたお洋服を引っ張り出してクローゼットを整理したり、車のベビーシートのカバーを洗って、セッティングしたり、大きいお腹でけっこう頑張った。
一通り、入院の準備もできて、二日後には定期健診もあって、NSTや細菌検査もあるし、いよいよ、出産だなって、やっと赤ちゃんのことを考えられるようになった。翌日の長女マルのお誕生日のためにお手紙を書いていたら、マルがかわいかったころのことをたくさん思い出して、今日からは赤ちゃんが生まれるまで、マルにたくさん甘えさせてあげよう、と少し余裕ができて、優しい気持ちを持てるようになった。まさかその夜に生まれてしまうとは。

伶ちゃんのこと、あんまり大事にしてあげられなくてごめんね。お洋服も退院用の1着と、家族お揃いのTシャツ1枚しか、買ってあげなかったね。あとは全部、お下がりでごめんね。エコー写真も、マルのときはちゃんとアルバムに貼ってたのに、クリップでまとめて留めるだけだったね。お腹が大きくなる様子も、写真撮ってなかったね。でもさ、新生児用のオムツも買ったり、母乳パッドも買ったり、がんばる気はあったんだよ。小さいテープおむつを替えるの楽しみにしていたし、たくさんおっぱいも飲んでほしかったよ。なんで、伶ちゃんは死んじゃったんだろう。もっとここにいてほしかったよ。
小さい伶ちゃんを見たあとに、2歳のマルを見ると、大きいな、と思う。
2年、ここまで、私たちが育てたんだ、と思うと、すごいな。私の育て方はどうなのかわからんが、とりあえず、生きて、大きくなってる。それで充分じゃないか。
マルが、私の口癖をマネするのがかわいい。ニコニコ笑ってくれるのがうれしい。氷が食べたくて「ちっさいの、ちっさいの」と言う言い方がかわいい。フルーツを待つときのキラキラした目がかわいい。こんな可愛さに、ここ最近は気づけていなかった。
もし、あのまま伶ちゃんが元気に生まれてきていたら、マルをこんなにかわいいと思えただろうか。小さい伶ちゃんのお世話で手一杯で、マルの小さな変化には気が付けなかったかもしれない。それに、頭の片隅では、仕事や、やりたいことが思うようにできないことで「なんで私ばっかり」と不満が募って、夫に八つ当たりしていたかもしれない。子育てをしていても、半分は別のこと。仕事をしていても、半分は別のことを考えていただろう。
赤ちゃんのお世話がしたかった。亡くなって初めて、赤ちゃんのお世話ができることが、どれだけ貴重なことかわかった。今までいくら人から「子育てなんて今しかできないから」とか言われても、「でも仕事も今しかできないんです。私の人生も大事なんです」と素直に聞けなかったし、意味がわからなかった。「ジェットコースターが好きな人や、辛いものが好きな人がいるように、子育てが好きな人ならいいですが、そうじゃない人にキムチは苦痛です。押し付けないで。」と思っていた。これからもその考えは変わらないけど、前よりは、「私、子育てもちゃんとやってる」と言える気がする。めっちゃキムチ食べてる。
私なりに、ちゃんと子供と向き合って、少ない時間しか一緒にいられないけど、できる限りのことはやってる。
ちゃんとマルをかわいいと思えている。
365日ある中で、マルと同じ誕生日に生まれてきた伶ちゃん。「この日を忘れないで」と言っているのだろう。八月の暑い日。うれしくて、悲しい日。「お姉ちゃんのこと、私の分までもっと大切にしてあげて」と、そんな声も聞こえてきた。子育てをさせてもらえる幸せを、毎日かみしめている。

夫は、「見えないものの方が、存在は大きい」と言っていた。これからマルが大きくなるにつれて、伶ちゃんのことをどんなふうに意識していくか。「伶ちゃんの分まで」と過剰になりすぎるのは、マルにも負担だろうから、そこは気を付けるけど、伶ちゃんという妹がいたことは、自然に受け入れてくれるといいな。

伶果の「伶」は「神に仕える人」という意味があるらしい。
伶果の「果」は「成し遂げる」「果たす」という意味がある。
伶ちゃんは、使命を果たして、神様のもとに帰っていったんだね。
伶ちゃんが命をかけて届けてくれたメッセージを忘れずに、確かにこの手に抱いた重みを、一生抱えて生きていく。

---★終わりに★---

ここまで書き出してみて、自分の中の様々な感情を見つめ直すことができ、ずいぶんスッキリした。有料記事の中に書いた、祖父母の対応(「戒名・墓」「お地蔵さん」「次は男の子発言」「神棚へのお祈り」など)に対してイライラしたのも、悲嘆のプロセスの一部だったと許してほしい。

夫も会社へ行き、マルも保育園へ行き、家で一人でいると、掃除が終わって一息ついたときなどに、ふと、伶ちゃんが心に降りてきて、占拠してしまうことがある。何もする気にならず、しばらく体育座りでボーっとしてしまうこともある。
「伶ちゃんは、いつ、心臓の動きを止めてしまったんだろう」、「なぜ私は気づけなかったのだろう」と、他のことを考えられなくなる。
楽しいことをしたいとは思えない。おいしいものを食べたいとも思えない。
かといって、ずっとその調子ではなく、「旅行したいな」とか、「さんまさんのテレビ見たいな」とか思ったりもする。
すっかり立ち直ったと思って生活していても、きっと40歳を過ぎて、いつか、もう二度と妊娠することはないという現実を目の前にしたら、わかっていても、また落ち込むだろう。
こうして浮き沈みしながら、徐々に、悲嘆のプロセスでいうところの「回復」へ向かっていくのだろう。
悲嘆のプロセスを12段階に分けたアルフォンス・デーゲン氏のモデルでは、12段階目の「立ち直りの段階」で、「新しいアイデンティティを獲得し、より成熟した人格者として生まれ変わることが出来る」とあった。
この経験がこれからの人生にどう作用していくかは、私次第。落ち込んだり這い上がったりしながら、素直な自分の気持ちに目を背けることなく、向き合っていこうと思う。
そして、同じ経験をした夫と支えあいながら、夫が悲しいときは一緒に悲しみ、いつかまた、心から笑える日がくることを信じている。

※ ここまでは死産直後に書いた文章を再校正して掲載しました。

最初から読む
娘への手紙
書こうと思った理由
伶果と過ごした36週2日と78時間43分(1)~(7)」(有料)
一年でどう変わったか


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