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好きすぎてデートの下見をした思い出【恋は盲目】

これ以上ないくらい激しい恋に落ちてしまうと、人は冷静さを失ってしまうもの。「そんなことないよ」と言う人もいるかもしれませんが、少なくとも筆者は相手を好きになりすぎて、「恋は盲目」になってしまった経験があります。今回は相手を好きになりすぎて、ふだんはしないデートの下見をした話。よかったら読んでみてくださいね。

1:むちゃくちゃ好きな人ができた

30歳が目前の20代後半ごろ、筆者は激しい恋に落ちた。それまでも恋愛の経験はそれなりにありました。どちらかといえば惚れっぽい傾向があると思います。しかし、惚れっぽい一方で心の底ではどこか恋愛に対して冷めている自分もいて、「自分をコントロールできなくなる」ほど恋愛には夢中にならないと思っていたのです。

「好きな人のことを考えると切なくて苦しい」「好きな人に振り向いて欲しくてなりふり構わなくなってしまう」そんな心境にはならないと自負していました。

しかし、そんな自信が覆される女性と出会った。彼女は明るい性格で笑顔が素敵な女性でした。笑みが素敵ということで、この記事の中では彼女をエミと呼ばせてください。

エミはとにかく人の心をつかむのが上手な女性。明るい笑顔で誰にでも気さくに声をかけて、男女関係なく誰とでも仲良くなってしまう。自分がリードして話をすることもあれば、相手が話をしたいときは親身に耳を傾けられる、聞き上手な女性でもありました。

そしてキラキラした笑顔がたまらない。そこにいてニコニコしているだけで場の空気がパッと明るくなるような笑顔を見せてくれます。そんな女性ですから、エミはモテた。周囲の男たちは彼女に夢中になったものです。

ここまで書くと、まるで女神のような女性ですが、周囲の人たちに好かれたい八方美人的な部分や、モテるシチュエーションを楽しんでいるのが透けて見える部分も彼女にはあったと思います。決して完璧な女性ではありません。

筆者はべつにあざとい子が嫌いなわけではないけれど、あまりに周囲の男たちが夢中になっているので、少し冷ややかな態度で距離を置いていたのでした。

それが変わったのが、エミがお酒が好きでかなり飲めると知ったとき。筆者もお酒が大好きで、当時は飲めるほうだったので、一緒にお酒が飲めそうな相手がいると男女関わりなく興味を抱く傾向がありました。

お酒が好きと知ってからエミと会話する機会が増えて、ふたりの距離は急速に縮まります。そしてほどなく、ふたりきりでお酒を飲みに行くような関係になりました。

ふたりきりで会ううちに、筆者はどんどんエミを好きになっていきます。エミもこちらに好意を持ってくれていて、お互いに告白はしていなくても、「あなたが好き」な雰囲気は出ていました。どうしてお互いこんなに惹かれ合ったのか、「相性がぴったりだった」としかいえません。

2:いつもはしないのに、デートの下見をしてしまう

当時の筆者はエミに夢中でした。それはそれまでの恋愛で体験していた「好き」とはまったく別物の感情。朝起きた瞬間からエミのことを思い出し、夜寝るときはエミに思いを馳せながら眠りにつく。一日の間でエミが頭から消えることがない。そんな状態になっていました。エミがいるだけで、いままでの何気ない日常がキラキラ輝いているのです。

なんでそんなにエミが好きだったのだろう。「会話のやり取りが心地よかった」「見た目が好きだった」「うらやましがる周囲に対する優越感」「エミもかなりの好意をしめしてくれた」どれも当てはまると思います。くわしい分析はともかくとして、とにかく筆者はエミに夢中になっていた。「エミのためならどんなこともしてあげたい」すっかり「恋は盲目」の状態になっていたのでした。

エミとはお互いに誘い合って、いろいろなお店にお酒を飲みに行った。お互いの行きつけのお店を紹介しあったり、どちらかが見つけた気になる店に一緒に行ったりしました。

そしてある日、お互い土地勘がない場所にある、お店に行こうとなりました。そこで筆者はふだんなら絶対しない行動に出た。仕事が終わった後に、わざわざ自宅とは逆方向の電車に乗って、ふたりで行く予定のお店の下見に行ったのです。

あらかじめネットに最寄り駅からのアクセスが詳細に書かれていたから、わざわざ下見なんてする必要はありません。筆者は仕事が終われば、だれかと飲みの約束でもないかぎり、少しでも早く自宅に帰りたい人間です。それなのに1時間以上帰りが遅くなるのに、わざわざ下見に行ってしまったのでした。

「エミとのデートは万全の準備をしておきたい」恋にうかれて、われを忘れた筆者はまったくいつもとは別人になっていたと思います。下見をした疲れなど感じることなく「これで当日も安心だ」と満足感いっぱいでデートの日を心待ちにしていたのでした。

3:好きの気持ちは理性を奪う

「デートの前に下見が必要なのか」そう問われたら、はっきり言って答えは「NO」でしょう。下見をしようがしまいが、上手くいくときは上手くいくし、ダメなときはダメなものです。

デートの目的地まで迷わずにエスコートできたらといって、「素敵!付き合って!」なんてならないでしょう。目的地まで多少、迷ったからといって、「最低!めっちゃ冷めた……」ともならないはず。むしろ惹かれ合っているふたりなら、一緒に目的地を探すことで、仲が深まるケースもあるもの。

筆者は恋愛ライターとして活動をしているけれど、「デートの下見」について記事を書く機会があれば、「そんなことをするよりも、一緒にいる時間を充実させる努力をしよう」なんて書くと思います。

「心配性だから、下見しないと不安でデートが上手くできない」と考える人が、下見をして安心できるなら、それを否定はしません。しかし、恋愛テクニック的には、下見はまったく意味のないものなのです。

「デートの下見は必要なし」と理性ではわかっているのに、恋は盲目になると、事前に下見をして、しかも満足する。そんな「イタイやつ」になってしまうのです。

「恋は盲目」それは周囲から見たらイタイ行動だらけだし、数年後の自分から見てもひどく恥ずかしい状態だと思います。

でも、筆者は思うのです。「あんな幸せな体験はそうそうない」と。心の底から好きな人がいて、その人のために、みっともない行動や、行きすぎた行動をしてしまったり、一日中その人を思って嬉しい気持ちになれたりする状態は、人生でそうそう訪れるものではないでしょう。

どう取り繕っても、恥ずべき状態だったと思います。でもまた、あれくらいの熱量で人を愛せる機会があるなら、そんな状態に陥るのも「悪くないかな」と思う。それくらい人を愛せるのは素敵な経験なのです。

エミとはその当時、お互いに惹かれ合っている確信がありましたが、それは外れていませんでした。その後はもっと親密な関係になっていきます。そして親密になりすぎてお互いの気持ちは変化していきました。

しかし、いまでもエミとは交流が続いています。おそらく関係性や感情が変わりながらも、生涯、付き合いが続くでしょう。そんな予感があります。エミとの思い出はいろいろあるので、機会があればまた書きたいと思っています。

4:まとめ

今回は激しい恋に落ちて、「恋は盲目」になった体験談を書いてみました。「恋は盲目」になってしまうと、いつもの自分とは違う行動を取ってしまいがち。それは道を踏み外す危険をはらんでいます。筆者のように、恥ずかしい思い出を文章にして、数年後に公開してしまうような行動に出てしまう場合もあるでしょう。

「絶対経験したほうがいいよ」とは言えませんが、筆者はそれほどに愛せる人に出会えたのは「かけがえのない経験」だったと思っています。

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