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【エッセイ】Vocaloid Opera「THE END」と日本芸術

 初音ミクのオペラを通して日本芸術の至る到達点のあり方の一つを見たように思う。日本と欧米では芸術観が異なるとされ、海外では作品のコンセプトが重要視されるのに対し、日本人は精緻な技巧を示す作品を評価するとされるが、それを踏まえてここで述べてみたいのは、技巧重視の芸術作品の極致とは何か、そしてそれを本オペラで達成するために果たした初音ミクの役割についてである。

 脳科学者の茂木健一郎は本オペラの感想において芸術における「圧倒」の重要性に言及しているが、本コメントは古寺巡礼の中での哲学者和辻哲郎による「その偉大性の根本は、空間的な大きさであるかもしれない。が、空間的な大きさもまた芸術品にとって有力な契機となり得るであろう」という南大門の大仏殿を評して述べた論評を思い出させる。そこでここではその意味するところを「作品のコンセプトではなく多大な技巧の物量も芸術の一要素となりうる」と解釈したい。そして初音ミクが音楽においてこの物量の多大さを制作者に強要したという点で芸術の契機となった可能性について述べてみたい。

 初音ミクが歌うボカロは音楽のジャンルではなく、様々なジャンルの楽曲が歌われているが、それらの楽曲にみられる特異な点として音楽的情報量の多さが挙げられる。これは人の歌声に比べた表現力の不足を補おうとする作曲者の心理から自然と生じたものと考えられるが、この現象は実写とアニメの相違点との類似性から捉えることができる。実写とアニメの違いは製作者による場面の支配率であるとする定義があり、アニメは支配率100%であるのに対し、完全支配できない人を用いる実写では支配率は100%とはならない。よってアニメでは感情等の表現が実写より困難である中で、作者が場面を完全に支配できるわけだが、アニメにおけるこの状況はCG含む多彩な技術による表現の追求を自然発生的に生じさせる。そして、人による歌唱とボーカロイドによる歌唱の関係性はこの実写とアニメの関係性と明らかにパラレルであり、ボーカロイドの登場は音楽的情報量の異常に多い作品という新たな一つの音楽の形態を生じさせたのだと考えられる。そして本オペラにおいても、渋谷慶一郎含む製作陣に生じた内容の充実を音楽と映像の技術面で徹底しようとする心理、初音ミクというコンテンツを用いることにより無意識的にも生じた本作用により、「圧倒」と評さざるを得ない表現がなされた可能性がある。つまり、無限のグラデーションとして音を変幻自在に作り出すシンセサイザーを用いたテクノ系音楽と音の探究者と呼ばれる渋谷慶一郎が組み合わさり、そこに「初音ミクが技術至上指向への触媒として作用する」ことで、日本芸術の特性である技術を追求する芸術の極致として結晶したのがこのオペラであると考えられるのである。かつてワーグナーは演奏の中身の薄さが音楽が演奏される速度に影響するとし、つまりは内容が乏しいから速度を上げる必要性が生じるのだとして、同世代の音楽家であるメンデルスゾーンのテンポをこき下ろした。しかしここで述べようとしているのは、速度も含む音楽的情報量の多さが生み出し得る価値であり、ワーグナーの音楽論に対するアンチテーゼとみることもできるだろう。

 ショーペンハウアーは芸術における一時的解脱について述べている。芸術作品に触れることで生じるエクスタシー(我を忘れる)により経験するのは一時的とはいえ解脱である。そしてニーチェの「悲劇の誕生」の中に見られる「音楽は潜在的にもっとも近づきやすい芸術形態である」という洞察に従えば、この一時的解脱は音楽により最も容易に達せられることになる。本オペラは、この芸術の持つ可能性について、音楽に映像技術も組み合わせることで誰にも容易に体感できる形で具現化した一例と言えるのではないか。良くも悪くも解釈可能な情報は良くも悪くも知識を体系化しエントロピーを減少させるかもしれないが、取捨選択の余地を許さない超絶技巧による大量の情報の流入は人に無を与えるのかもしれない。換言すれば、暗闇の中ではものが見えないが、大量の光の中でも何も見ることはできないのに似て、明るい闇とでも形容したいその圧倒的情報量の中では、四方を地平線に囲まれ踏み出すことすら許されない真っ直ぐな迷宮に佇むように人は思考を停止するのかもしれない。デカルトは「我思う故に我あり」と述べたが、思考が許されないその時、そこに在るのは何であろうか。

 以上より、浮世絵に始まり精緻な技巧を極めることを重要視してきた日本の芸術の極致が、その「圧倒」性により「今、ここ」へを強制し、一時的解脱を容易に与える動的禅態様に到達させるものとなりうることを示唆する本論考は、「二人の鈴木」により仏教を世界に広めた日本の芸術の最終到達点の一考察として悪くないだろう。

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