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[掌編小説]踏みしめて変身せよ

 今日、仕事を失った。
 どうにもならない世界の動きに苛立ったところで、私の仕事が戻るわけじゃない。とにかく、失ったものは失ったのだ。
 心のどこかで覚悟はしていた。でも、それはこの先の「いつか」のことで、今日じゃなかった。それに、もしかするとただの悪い予感で終わるかもしれないと、たかをくくってもいた。
 長く勤めたデザイン事務所の主な仕事は、観光業に関するものが多かった。残業続きが定時になり、自宅待機になって、自分で自由に仕事をしていいと言われ、久しぶりに出社するなり「解散します」と告げられたのだった。
 安定していたはずの立場から転がり落ちて、途方に暮れる。フリーランスになったとしても、ただでさえ需要と供給のバランスが崩れているこの街で、私にできることなんてあるのだろうか。
 頭のなかが真っ白になる。どこをどう歩いているのかすら、わからなくなってきた。
 私、これからどうなるんだろう。いったい、どうすればいいんだろう。
 いまにも雪が降りそうな平日の午後。人影のない大通公園のすみをぼんやりと歩く。失業保険はすぐにでるので、当面は貯金を崩しながらどうにかなる。そういえば、いまどのくらい貯金があったっけ。そんなに多くはない気がする。
 スマホで確認しようとした矢先、足元がおろそかになり、つるつるの地面に滑って豪快に転んだ。肩や背中をがつんとうってしまい、一瞬視界が暗くなる。目を閉じたまま、もう立ちあがれないと思う。いっそこのまま、永遠に眠ってしまいたい。そんなくだらない考えがよぎったとき、遠くから子どもたちの声が聞こえてきた。
「今年は雪まつりないんだぞ」
 はっとして、ゆっくりと目を開ける。なぜだか無性に泣きたくなって、必死に堪えた。大きな雪像がこの公園に姿を見せ、たくさんの人々がそれを楽しみに立ち止まったり、写真を撮ったりすることのない閑散とした光景に、私の白い吐息が重なっていく。

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「ないの?」
 幼い男の子が問いかける。お兄ちゃんらしき男の子が答えた。
「ないよ。今年はきっとさ、でっかい『鬼滅』とかだったかもな」
「でっかい『鬼滅』見たい!」
 私も見たかった。
 起きあがろうにも、背中に鈍いしびれがあってまだ動けない。病院に行くほどではないのはわかるので、もう少しだけ横たわっていることにし、声のする方向に視線を動かす。スキーウェア姿の幼い兄弟と、母親らしき女性が見えた。
「ほんとうにやらないの?」
「やんないことになったんだから、やらないよ」
「明日は? 明日とかやらない?」
「バカだな。やらないってことは、明日もやらないってことだよ。そうだよね、ママ?」
 そうだよとママがうなずく。自由に動きまわる男の子たちの名を呼んでは、なんとか地下街の出入り口まで誘導しようと悪戦苦闘している。私なんて自分ひとりの面倒もまともに見られないのに、彼女はきっと自分のこと以上に、家族のあらゆる言動に常に気を配っているに違いない。ママって本当にすごい。
「ほんとうに明日もないの?」
 しつこい弟くんにしびれをきらしたのか、お兄ちゃんがややキレた。
「ないもんはないんだって!」
 しんと会話が途切れたとたん、弟くんの凛々しい声が突然とどろいた。
「――ヘンシン!」
 そう言うやいなや、長靴を履いた足で地面を踏みしめ、ぐるんと両腕を大きく動かす。すると、お兄ちゃんがげらげらと笑った。
「なんもヘンシンできてねーぞ」
「兄ちゃんにだけ見えないヘンシンだもん!」
 そんな変身があるのか。思わず笑いそうになったとき、弟くんが言葉を続けた。
「おれがヘンシンしてセカイをかえて、でっかい『鬼滅』の雪まつりする!」
「どうやってやるんだよ。おまえがヘンシンしたってできるわけないだろ」
 哀しい現実に、弟くんは負けじと訴えた。
「じゃあ、来年やる!」
「来年もないかもな。あきらめろ」
「やだ。じゃあじゃあ、再来年やる!」
 やだという単純な否定に、私はとうとうにやりと笑ってしまった。すると、お兄ちゃんが言った。
「再来年なら、あるかもな」
「やった! ママ、再来年やるからね!」
 ママが笑う。
「はいはい、そうだね。そのときはパパも一緒に来ようね。さあ、早く帰ろう。ママお腹すいた」
 ママに連れられた兄弟が、地下街に続く出入り口に姿を消した。私はほっと胸をなでおろす。なにはともあれ、公園のすみに横たわっている変人が発見されなくてよかった。

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 首も肩も背中も、やっと動きそうだ。起きあがる前に、空をあおぐ。灰色の雲の影で、おぼろげな陽の光がにじんでいた。

 ――こんな現実、やだ。

 そう、声にせず口を動かしてみる。
 いやなら、変えるしかない。ヘンシンして、自分の目に映るセカイを変えるしかないのだ。大丈夫。しばらくは暮らせる。だから。

 だから、立ちあがれ、私。
 いますぐに立ちあがれ、私。

 寝返りをうって地面に両腕をつき、ゆっくりと立ちあがる。大きく深呼吸をして、地面を強く踏みしめる。そうして、心の中で大きく告げた。

 ――ヘンシン!

(了)



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