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体感が記憶となっていく

私には高校時代の記憶がほとんどない。
現在同様に鬱だったのだと思うが、当時はわからず、気力がなく、学校ではほとんど眠っていて、目が覚めたらお弁当を食べて、部活に参加して帰っていた。部活もマネージャーだったので、ぼんやりと走る人々を眺めていた。

地学の先生

そんな高校時代に、唯一記憶が鮮やかなのは地学の授業なのだ。
地学は選択科目だったと思う。私は小学生の時から地理や地球のことには興味があった。地学の先生はちょっと変なことで有名であった。
「テストはないけど、年度末に石の観察レポートを80枚以上提出すること」

噂通り、授業はあってないようなものだった。ほとんど作業室にいて、教わったのは石のスライスと研磨!石をなるべく薄く割って、顕微鏡のプレパラートにできるまで、ひたすら研磨する。もちろん、とてつもなく時間がかかる。地学を履修した仲間はみんな、砥石の上で手を動かすだけで授業時間を終える。何日に一回か、誰かが「もういいですか」と先生に研磨具合を見てもらうと、「おおっこれはもうちょっとだね〜あと3時間ぐらい!割らないように頑張って!」とか言われることが唯一のイベント。石はなかなか薄くならないのだ。

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体感で学ぶ

次なるイベントは夏休みの秋川渓谷での岩石採取。遠足気分でグループで秋川渓谷に向かい、自分が研磨する岩石を拾って帰るのだ。
この頃になると、みんなどの石が研磨に厄介かわかってきている。また、顕微鏡で見た時に、達成感を感じる石とそうでない地味なものがある。例えば、研磨しやすいのに達成感がないのは砂岩だ。砂が集積してできた岩石だから、研磨もしやすいのだが、あまりキラキラした破片は混じっていない。人気があるのは黒雲母。キラキラと輝く黒雲母は単体ではなく、花崗岩に混じっていることが多い。プレパラート寸前で割れることも多くて、残念な悲鳴をよく聞いた。黒い玄武岩は硬くて、割れないし研磨も大変。どんな黒色が見えるんだろう。

この後、秋冬いっぱいかけて、拾った岩石をプレパラートにし、顕微鏡で除いて、採掘した場所なども含めたリポートを書く。当時のリポートは全て手書き。イラストも手書き。ぐっちゃぐちゃの80枚以上の石の記録は、みんな花丸で帰ってきた。先生は読んでないんじゃない?って誰もが良心の呵責を覚えただろう。

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記憶された体験

こうやって体幹を通した授業の素晴らしさに気づくのは、高校を卒業して三十年も経ってからだ。あれ?なんで私は石を見ると無意識に分類しているのか。まろやかに丸くなっている砂岩。ゴツゴツを残した礫岩。河原にはさまざまな石がある。

先日兵庫県の豊岡市で、台風による計画運休で足止めにあい、やっと帰れる日の朝、あしプロメッセンジャーと河原に行った。なんだ、ここの河原!白雲母・黒雲母を含む花崗岩がたくさんあるし、緑色の石が多いなあ!!!奥多摩や玉川にはない石がたくさんだ!
この日は嬉しくて、多様な色彩に富んだ石を拾って帰宅したのです。

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気になって調べてみると

私たちが滞在した江原はすぐお隣に出石があるが、この地域一帯は夜久野帯という、地底のプレートの底がそのまま隆起して岩石として現れている、世界でも稀有な地域で、緑色の石はまさにマントルの構造である橄欖(かんらん)岩を含む蛇紋岩らしい。なぜかこんなことの調べばかりが早いのは、高校時代に身についた分類と観察の体験の効果であろう。

派生石の分類がいくつもあるが、地球を説明するには3つの石さえわかれば良いという本を見つけて読んだ。そこには、橄欖岩(緑色)・玄武岩(黒色)・花崗岩(白色)の成り立ちが地球の成り立ちであることを解説されていた。富士山の成り立ちとその稀有な美しさについても解説されている。
ご興味ある方は是非どうぞ!

まあ、そんなわけで、あの都立校の地学履修生の多くが、私と同様に岩石に出会うたびに(これは花崗岩だな)とか思っているんじゃないかと考えると、教育って、いかに体感させるかなんだなあと実感するのでした。

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