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【コラム】自主公演という名の差別

□自主公演という言葉を知らずに始めた自主公演

シルク・ドゥ・ソレイユの契約を終え帰国した8年前、
自分の中にたまりにたまった、何かを作りたい欲を一気に吐き出すようにスタジオを借りて、喋るし踊るし気が向いたら歌でも歌うというような作品を、やたらと発表し続けた時期があった。

スタジオを借りてのパフォーマンスは、それほどコストもかからず(※それでもお客さまを呼べなくてしっかりと赤字になっていたが)年に何回も発表することが出来ていた。

次第に何処か劇場を借りて公演をしたくなり、劇場を探す作業をしているうちに『自主公演』という言葉を耳にするようになった。

なるほど僕がやりたい公演は自主公演というのね...

それでは自主公演じゃない公演とは?スポンサーがついている大きな商業演劇や、助成金を頂いて興行を成り立たせる方法や、劇場が企画する劇場主宰公演等々、少しずつわかってきたが当時僕には自主公演という手段しかなかったので、とくに迷う事もなく劇場をお借りして公演を行う事になっていったのだ。

□徐々に感じる自主公演でしょ。。。の差別

まずは褒められる所から始まる

偉いねー、自主公演続けるのはなかなか大変な事だよ。
凄いね全部自分でやってるんでしょ?

まずこの公演を誰よりもやりたいのは自分なので、出来ることは自分で出来る熱はある、続けるのは大変かもしれないが続けるのをやめるとおそらく体に熱がこもりすぎて、常に鬱血した目をした男になりそうでやめられないから続いているように思う。

チケットの値段を少しチクッとされる

公演を続けるうちに関わって下さるスタッフの方々も増え、色々なサポートを受け、作りたい作品がしっかりと形に出来るようになって来たとき少しチケット代が上がるのだ。

スタッフ方や出演者の方へ僕がどのくらいこの作品に自信があるのか...の提示の1つがこのチケット料金だと考えている。
もちろんお客さまに観ていただかなくては作品が報われないので、皆さまが思う僕の作品の価値とこちらが思う金額の妥協点を考慮して決定するわけだが、「4000円かぁ、も少し払ったら◯◯さん出てる舞台観に行けちゃうじゃん!」
とか言われて僕は「そーですよね。ごめんなさい!」ととりあえず謝る。
内心はだったら◯◯さんの舞台に行ってくれ...であるが、それでも観てもらえたら好きになってもらえるかもしれない。という若干の期待もあるのでやはり謝る。

ー今度作品出してよ!と言われるー

何度も作品を上演していると観に来て下さる同業者の方も増え(観てくださる事はとても嬉しい事である)そのうち「舞台出させてよ!」と声をかけられるようになる。
待ってくれ...関わって下さるからには多くはなくとも出演料をお支払する事になり、僕が好きで好きでなんとしてでも一緒に作品に参加してほしい方に1年以上前にスケジュールを空けて頂いて、その方に出演料をお支払する覚悟をもって1年過ごすわけなので、もしあなたと作品を作りたくなったら僕から打診しますので待って欲しい。

そして、おそらくそのノリの方に出演してもらうことは今後もない...

過去に「1年半後のスケジュール頂けますか?」と聞いたら「良い仕事が入るかもしれないから、1年半後のスケジュールを決めるのはきついな。」と言われた事もあり、僕は勝手にナーバスである。

□クラウドファンディングと僕の舞台

大きなスポンサーが付かなくとも、助成金を得られなくとも、このところクラウドファンディングで公演を収支的にも成功をおさめている例も増えて来ている。
新しい公演活動、創作活動の続け方として道が出来ることはとても素敵な事だと感じている一方で、これも僕には合わないのではとも感じている。

僕の自主公演は1年以上前からスケジュールが決まっている。ということはそこに必要な予算を何処から持ってこようかを考えて続ける1年でもある、出来る事なら僕が作品に向かってぶれる事なく生きる事でお金が発生する事が一番健康的である。

1年まえの公演を観て僕に振付のお仕事を下さる事、MCやラジオ、インターネット番組など喋るお仕事を下さる事、
公演のDVDを購入してくださる事、ワークショップに来て下さる事、独演会に来て下さる事、これら全てがきっと次の舞台にお金だけではない貯蓄として繋がって行く、そこでさらにさぁ!クラウドファンディングです!
とはなれないのが今の感触である。

□公演の役割

劇場に足を運ぶお客さまからしたら、観たいものを観て、感じたいように感じて、楽しみたいように楽しみたいのが1番よい。

やる側も、観る側も、興行公演だから、自主公演だから、劇場企画だからという思考ではなく、この国に溢れる舞台表現の1つに過ぎなく、それ以上でもそれ以下でもない事を知る事が大切なのだと思う。

コンビニのお弁当を食べないのは自由だが、コンビニ弁当なんてなくなっちまえ!というのは極端な話であるし。
それを必要としている人達も大勢いる。

弁当達はコンビニ弁当だからといって卑屈な顔をしていないし、高級弁当だって威張った顔をすることもなく平然と売り場に並んでいる。

僕らの作品も世に出たからには、平然とした顔で並んで必要な方に選んでもらう強さが、健全な舞台環境をつくるのかもしれない。

□あとがき

結局のところ全て自分の意思で今の道を選んでいる僕が、
最近まで自主公演だと言われる事に引けめを感じていた事は胸を張れる事ではないが、そんな事を思いながら過ごした数年の思いを書いてみた。

ちなみに、今は自主公演と呼ばれようと、熊谷の公演といわれようと関係なく、次の公演の事、その次の公演の事を考える日々です。

ダンス劇作家
熊谷拓明

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オリジナルジャンル『ダンス劇』を作って、舞台を作って、自分で演じて。 □2020□ 4/3~4 試作ダンス劇「あしたの裏の底の方」 @ハーフムーンホール 12/9~13 新作ダンス劇「さえない空気が運んだ幸福」 @あうるすぽっと Webサイト odokuma.com
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