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精麻と波動

昨年末に、地元の友人が主催する
精麻で新年のお飾りを作るWSへ参加して以来、
精麻の美しさ、手触り、浄化の清々しさに
惹かれていて


お飾りを作った後も、
ネットで注文する程に。


私が作ったお飾り用は3本編み。
2本取りよりかは少し面倒。


可愛く出来たけど、
テクニック的には下手で(笑)
先生が見かねて治してくれた。


そういう所が昔からあるなぁ。

で、魂的には
「綺麗にやってもらえてラッキー♪」って
思っているんだよ!

それが私の天然なキャラで
愛されキャラで
それのお蔭さまで55年やってきてる・・
はずなの。

そういった自己分析の割には、
分かっておらず
その良さを
受け入れたくなかったりするのが
面倒くさい時がある。


心理的、気分的には
「みんなは上手なのに私だけ・・」
「みんなより綺麗に仕上げたいのに!」って
ナゾの負けず嫌い、
自分を認めたくない部分が
明るみになるのだ。

そのWSで、思い出した。
あー私って、不器用のくせに
器用な振りして
劣等感を抱くんだったわ。


でもね
私がしてきた仕事内容を鑑みれば
私は間違いなく、
器用な人って思われてしまう。


加えて、ナゾに度胸だけは気質として
備えているもんだから、
余計に落ちこぼれと思われると
嫌なんだ。


めんどくさっ。
55歳にもなってんだぜ?

・・とか感じながらも
やっぱり私らしさは隠せず


皆と同じチャームに目もくれず、
ひとりだけ可愛いお花の飾りを
勝手にくっつけて
先生に「・・会費より少し頂かないと」
とか言われて、ハッとするという(笑)

そこで軌道修正など決してせず、

どうしても可愛く仕上げたいから
我が道を突き進むのだ
(300円くらい追加で渡した)。


上手にまとめればオリジナリティ。
その性質のお蔭さまで55年生きてる(もっかい言う)。


えっと、それで精麻だ。


うつの急性期の最も辛いころ
手を動かしていれば忘れられると思い、
精麻を2本取りで、紐を編んでいた。
(3本取りは、さすがすっかり忘れた)


なかなか楽しいし
単純作業は脳にも良きだし
良かったかもしれないが


そうゆう作業はまだ先で
やってもあんまり効果的じゃなかったと
今では思う。


だって紐だよ。
うつの急性期の最悪な時だよ。
良からぬ行動を考えてしまった。

苦しかった。

だからもう目に留まらない場所へ
隠しておいたのだ。


頑張り屋もいい加減にして欲しいわ!


ようやくですよ?
当時うっかり買ったもの
(クロスステッチ、刺し子キット)を
心から「やりたい!」って思えるのは。



お昼寝(てか目を閉じて横になるやつ)が
つまらなくなって、
そーだ、精麻をよってみよっかなと
隠しておいた場所から出してきて
編み出したんだけど・・・


どこからどこまでが
苦しかった時代のより方なのかが
怖いくらい分かるのだ!


器用になったとかじゃないです、
基本は不器用だし
なんなら、
急性期ど真ん中時代の精麻紐には
殺気立つエネルギーを感じる。

今日は
穏やかでゆったりしている。

精麻は変わらず清々しく
私を浄化してくれている。

私の波動、エナジーが
変わったことに気づく。

神聖なる存在を前にするから
ここまで気づいてしまうんだろう。

私の部屋にある神さまは
精麻にはもちろんだが
私自身に宿るものだ。
私の内なる神
内なる宇宙に、今日もありがとう。