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扉の向こうで声をかけてくれたのは誰だっけ、大事な人だったのは覚えている(鉄風東京 / 外灯とアパート)

あの頃が良くて今のものはダメだというダサい大人にはなりたくないと大学生はそう思っていた。
いや、今でもそれは思っている。
けれども、あの頃の熱が無くなってしまったのか、年々増え続けている情報を取り込むカロリーに体力がもたなくなってきたのか、気づけばYoutubeやSpotifyの履歴は、あの頃聞いていたバンドの曲ばかり。規模が大きくなったり、活休や解散、様々な道をいくバンド、けどあの頃の思い出は褪せない。
こうやって人は、新しいものを追わなくなっていってしまうのか。
と危機感を覚えた時にふとYouTubeの広告で流れてきた曲に一目惚れした。
それが今回紹介する鉄風東京の‘外灯とアパート‘という曲である。

鉄風東京とは

仙台の4ピースバンドの鉄風東京。10代という若さからくるストレートかつ詩的な歌詞は、なんだか日記帳をのぞいているようで、もうすぐ30になろうとする僕には眩しくて、むず痒くなりそうなくらい青くて心地が良い。
シティポップならぬアーバンポップが若いシーンの主流だと感じている僕は、このように邦楽ロック然としたサウンドは懐かしくも新しく感じた。

外灯とアパートについて

イントロのアルペジオで心掴まれない人はいないだろう、そう思えるくらいだ。
なっている音もシンプルで心に嫌味なくすっと入ってくる。
むしろ僕らの年代の人間が一番聴きやすい音楽なのかもしれない。
そんなサウンドにのる歌詞は鬱屈しているように見えるが綺麗なのである。
一日中部屋に引きこもっていて、外では子供達が楽しそうに過ごし家へ帰っていく。
楽しそうに暮らしている他者へ向けなのか、無為に時間を過ごした自分へ向けてなのかため息が出る。
変化が怖くて一歩踏み出せないというみんなが持っている悩みと心を部屋と称しているのはありきたりに感じるが、それがいい。
サビの背景、蛍光灯に群がる僕らよ
は、拝啓とのダブルミーニングだろうが、外に踏み出すのは怖いけど明るいところには憧れているという表現に脱帽する。
そして届かない声の主、探そうとしている君
それは、全てがきらきらしていると信じて疑わなかったあの頃の僕なのか、大事に思ってくれている友達、家族なのか、先に未知に飛び込んで行った仲間たちなのか
様々なことを考えることができる
神様なんていない
という歌詞とリフで終わり、それでも日常は同じように続いていくことを示唆するような
救いが少なく感じる終わり方
鬱ロックっぽいところも僕が好きなポイントなのかもしれない。

気持ちが落ちた時には寄り添ってくれたり、一緒に堕ちて行ってくれる鬱ロックが好きなのだがこの曲もそんな側面があるように思える。
若くしてこのような曲をかける彼ら、今後要チェックなバンドであると思う
是非聞いてみてください

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