2016/7/5の日記~小事件、好きと嫌い、サンタクロース~

片方の靴下だけがどうしても見つからない。僕の生活空間において往々にしてよく起こる小事件である。下の階のコインランドリーで誘拐事件に巻き込まれたか、寝ている間に荷物を持って夜逃げしたか。靴下両方同時に消えるなら、失ったことすら気付かないようなものなのに。わざととも思えるくらいに、僕が失ったものを気付かせるようにして相方を残して旅立つ靴下よ。僕らは片方の靴下だけではどうすることもできない。

 人生において、失ったものの内、その半分くらいはきっと嫌いな"何か"、だ。案外、僕らのほとんどは、自分のことが好きすぎてたまらない。だからなのか、自分に付属する嫌いなものに対しても幾分かの所有欲を持つ。それで、嫌いな何かを失ったときに、強烈な憤怒に目覚めるのだ。反抗するための活躍の場を奪われたロックミュージシャンのよう。不潔で、粋がっていて、酒臭い。そんで嫌いな何かを持っている奴に出会った時に唾を吐いて嫉妬を撒き散らす。「そいつのことを嫌いと言っていいのは俺だけだ、バカ野郎!」


 一方で、失ったものの内、もう半分くらいはもちろん好きな何か、のはずだ。僕らは少し、あまりにも自分のことが憎くてたまらない。好きな何かを所有してていいのか、あまり自信がなくて何度も自問自答してしまうのだ。こっちは身に覚えあるんじゃない? そして、その好きな何かを失ったときに強烈な喪失感を覚えるのだ。好きな何かを持っていてもいいのだ、という期待も喪失してしまう。そういう時は、悟りを覚えたての坊主のように取るに足らないものだった、と嘘をついて屏風に上手に自画像描いてろ。

 …。つまりは好きと嫌いは補完的なものなので、好きと嫌いはワンセットでお買い上げ。僕らが片方だけの靴下だけではどうすることも出来ないように、好きと嫌い、彼らもどっちか片方だけではやっていけない。好き好きアピールのうざったいツイートが誰かを不愉快にさせたり幸せにしたり、不平不満が成功への鍵を握ったり崩壊へのロンドだったり。嫌な練習や勉強が圧倒的成長への近道だったり。いざ始めん人生補完計画。なんのこっちゃ。

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 個人的なことだが、本気で人を嫌いにはなれない。どんだけ非人道的で冷めたむかつくことをされても心底嫌いにはなれない。ただ哀しいだけだ。お前に哀しみが救えるか!わからん、だが共に生きることはできるってな具合に、憐れみと人に対するこれまでの期待の、喪失感を持って接する。
 

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 一年の半分が終わった。そのもう残り半分で片方の靴下が見つかるだろうか。僕らは片方の靴下だけではどうすることもできない。だけど見つからなくても、施しを受けられる方法を、裏技を僕らは実は知っている。今年の終わりに、世界で一番有名なジーザスさんの誕生ケーキの蝋燭の火が吹き消される前夜、籾の木や暖炉の前にでも、靴下の“相方”を置いておけば、聖ニコラウスことサンタクロースさんがコインを投げてくれるだろう。それがうまくインするかは神のみぞ知るとして(笑)。きっとあの赤服おじさん、カミさんと賭けごとやってるよ。入れば施し、入らなきゃ当然の報いってさ。
 そういえばそういったコイントスのチャンス…、サンタさんはどんな子にプレゼントをくれるんでしたっけ?

 好きも嫌いも大事に、残り半年良い子でいましょう。

☆3年経ってみた後のあとがき☆
相変わらず靴下はよく無くす。そして3年前は今一つ何を言いたいのか掴みきれないなぁ(笑)文章があまりうまくないなぁ

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