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音楽よもやま話-第11回 クイーン-死んだら We will rock youに合わせて木魚なんて叩いちゃってさ

44年前の青春

1975年の初来日から1年が経った1976年の大阪、英国紳士の風貌とはちょっとかけ離れた4人のバンドマンが、熱狂的な日本人ファンにまたしても迎えられた。15才の誕生日を迎えたばかりの、まだ幼気な少女だった僕の母親も多分に漏れず、ロジャー・テイラーの虜だったようだ。「ベルサイユのばら」のアンドレだかオスカルだかが、ザラザラしたまんがの紙面を飛び出したかのようにキラキラ見えたのだろう。また別バンドだがキッスも好きだったらしい。
なぁ、僕は両親について時々不思議に思うことがあるんだけど、こんなにも聞く音楽の趣味が違う二人なのによく結婚したよな? 母親はクイーン、キッス、ディープ・パープル、ボン・ジョヴィが好きだった。対して親父はさだまさしに南こうせつ、井上陽水ときたもんだ。音楽性の違いで解散せずにいてくれてありがたいとすら思うぜ。まぁ今こんな話する必要はないよね。
まぁとにかく母親はクイーンが好きだった。「ボヘミアンラプソディ」を映画館で二度ならず、三度も見返すほどだ。何度もハリーポッターを読み返したり、ジュラシックパークを見返したりしていた僕に「同じものを見てんじゃない」と叱り、「映画館は高いんだから暇つぶしに使うな、勉強しろ」と怒っていた彼女がだ。まじで面喰ってしまうよな。誕生日プレゼントに「ボヘミアンラプソディ」のBlu-ray買ってあげたよ。

伝説のチャンピオン

2011年、僕ら合唱部は文化祭の出し物について議論を重ねていた。その年はちょうどフレディ・マーキュリーの死後20年だというのだからと、満場一致で(怪訝な顔をした顧問の先生を無視した)、クイーンの曲を演奏することに決めた。2年前にはマイケル・ジャクソンが死んでしまったってんで、「マイケル・メドレー」やったもんな。どうやら毎度誰かの死にかこつけて出し物を決めることにしてたのだろうか?
まぁとにかく我々は、—主に男声がというわけだけど―どのようにフレディに畏敬と哀悼の念を示し、クイーンの素晴らしい音楽を再現してやろうかとそればっかりになってしまった。おかげで合唱曲はそっちのけ。さらに、ずる賢く卑怯な僕は、別でやっていた軽音バンドが文化祭のオーディションに落ちたからってんで、バンドセットを持ち込んでやろうぜとアイデアを出した。

「なぁ、今一度俺たちの部の名称を思い出せよ」
「合唱部だろ?」
「違う。違うぜ。”音楽部”だ。ウーアーウーアーとコーラスしてるだけの合唱部なんかじゃないんだよ。音楽部だ、どんな音楽やったって文句は言わせねぇ」
「お前の屁理屈には時たま、最大限の敬意を表したくなるぜ。」
「まぁいいからさ、ここからが重要な課題だ」
「なにさ」
「どうやって”レッドスペシャル”のトーンを再現するんだ?」
「ピックの代わりに10円玉で弾けよ」

なんのかんのあって、「We will rock you」と「We are the champions」を演奏することにした。ドラムが鳴り響くアイザックスターン・ホールにハットを被った僕らが颯爽と登場し、観客の心を鷲掴みってスンポーよ。その時はイケてると本気で思ってたんだな。観客席に向かってハットを投げ飛ばしてたもんな。やれやれ。舞台袖で女声が頭を抱えていたのを見てしまったけど(ハットを投げ飛ばすのだけはやめておけと言われていた)。
フレディの真似をして白黒半分スパッツ姿で登場しないでよかった。
ピアノの上にビールなんて置かなくてよかった。
ジョン・ディーコンみたいに短パン衣装にしなくてよかった。誰か観客までも辱めの地獄へ道連れするところだった。

レッドスペシャルの音を実際どう再現したかというと、シンセサイザーでブライアン・メイっぽい音色で弾いてもらいながら、ギタリストこと僕はその音に合わせて“当てフリ”をしたわけだ。We will rock you のギターソロは難しくて弾けなかったからね。新人アイドルもびっくりな見事な“口パク”だったよ。これもひどいミスとしてリストに付け加えておこう。

I’ve paid my dues
Time after time
I’ve done my sentence
But committed no crime
And bad mistakes
I’ve made a few
I’ve had may share of sand kicked in my face
But I’ve come through

まぁでもそう、僕たちはチャンピオンだった。


バイシクル・レース

1978年、もうじき18才を迎えようとしていた当時の母親は、先輩がいつも聞いていたレコードの影響で「バイシクル・レース」が好きだったみたいだ。だが42年も経って改めて聞いてみれば「なんでこんなダサい曲を好きだったのかさっぱりだわ」と首を傾げていた。
でそのついでに、2020年、デパートで買い物に興じているところに電話をかけて今好きな曲はなんなのさと聞いてみた。
「あれよ、なんとかクイーン」

はぁ、ロックなんだなぁ。
まぁ親父と音楽の趣味が合わないと嘆かないでおくれよ。そんなにしょっちゅう嘆くんなら、「Mama, ooh」とボラプを口ずさんでやらんこともないさ。
自分の葬式じゃ「We will rock youに合わせて木魚なんて叩いちゃってよ」なんて言う。辛気臭い顔して俯いて涙で水溜まりを作るだけが葬式じゃないのかもしれないね。誰かの死に対して、どのようにその死を悼むのかは違ってくるよね。
やれやれ。ロックなんだなぁ。


さいごに

最後に僕が一番好きな曲は「Somebody to love」だ。人知れず、精神的な救済を求めていたバイセクシャルの寂しがり屋フレディが紡ぎ出すソウルフルでゴスペル風味の名ポップナンバーだ。とりわけこの1981年モントリオールでの演奏はベストアクトだと思う(他のアクトをたくさん知っているわけでもないが)。最後のロジャー・テイラーの絶唱コーラスと掛け合うフレディのブレイクが最高だ。


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