小田原市入生田の長興山紹太寺の前身は小田原藩主稲葉正則の父正勝と母の菩提寺として寛永12年(1635)、小田原城下山角町、現在の山角天神社の隣に建立された臨済…
石垣山一夜城歴史公園入り口 石垣山一夜城(以下石垣山城)は「一夜城」と呼ばれ親しまれているように、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏の降伏を…
大久保公園は平塚市諏訪町の一角に立地する都市公園です。公園内には、無料のプールや鳥籠、大きな滑り台があり、都市公園としてはなかなか大きな規模を持つ公園です。 …
二宮篤志
2019年12月29日 15:32
小田原市入生田の長興山紹太寺の前身は小田原藩主稲葉正則の父正勝と母の菩提寺として寛永12年(1635)、小田原城下山角町、現在の山角天神社の隣に建立された臨済宗妙心寺派の寺院でした。 その後稲葉正則は当時最新の仏教「黄檗宗」の開祖隠元隆琦(いんげんりゅうき)の教えに感銘を受けたため、万治2年(1659)、隠元の弟子若き慧覚(えかく)こと後の鉄牛(てつぎゅう)を紹太寺へと招聘したことによって紹太
2019年12月28日 14:38
石垣山一夜城歴史公園入り口 石垣山一夜城(以下石垣山城)は「一夜城」と呼ばれ親しまれているように、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏の降伏を促すために、周囲の樹木を切り払い一夜で築城したかのように見せたという伝承が有名です。実際は文献や現地での調査にて築城に約80日間を費やしていることが解っており、お城としては関東では初となる総石垣の本格的な城です。ほか一夜城伝説とし
2019年12月22日 14:50
大久保公園は平塚市諏訪町の一角に立地する都市公園です。公園内には、無料のプールや鳥籠、大きな滑り台があり、都市公園としてはなかなか大きな規模を持つ公園です。 この大久保公園の名の由来は徳川家康に仕え小田原藩主を務めた大久保家によるもので、大久保家の屋敷の跡の一部が公園になりました。大久保公園の正門横に建碑された「瑞祥の碑」には大久保公園の由来が刻まれています。この「瑞祥の碑」に基づきながら、