二宮篤志

全長9㎞にも及ぶ小田原城総構をまちづくりに活用する活動をしています。大外郭の会の会長を…

二宮篤志

全長9㎞にも及ぶ小田原城総構をまちづくりに活用する活動をしています。大外郭の会の会長を務め、小田原城郭研究会や小田原の城と緑を考える会などに所属しお城の活動をしています。また、全国のお城の旅行ガイドとして各社旅行会社で案内をしています。小田原城関連の著書も手掛けてます。

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長興山紹太寺遺跡を歩く

 小田原市入生田の長興山紹太寺の前身は小田原藩主稲葉正則の父正勝と母の菩提寺として寛永12年(1635)、小田原城下山角町、現在の山角天神社の隣に建立された臨済宗妙心寺派の寺院でした。  その後稲葉正則は当時最新の仏教「黄檗宗」の開祖隠元隆琦(いんげんりゅうき)の教えに感銘を受けたため、万治2年(1659)、隠元の弟子若き慧覚(えかく)こと後の鉄牛(てつぎゅう)を紹太寺へと招聘したことによって紹太寺を黄檗宗へ改宗しました。  黄檗宗とは中国で興った禅宗五家のうちの一派で、達

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         大久保公園は平塚市諏訪町の一角に立地する都市公園です。公園内には、無料のプールや鳥籠、大きな滑り台があり、都市公園としてはなかなか大きな規模を持つ公園です。  この大久保公園の名の由来は徳川家康に仕え小田原藩主を務めた大久保家によるもので、大久保家の屋敷の跡の一部が公園になりました。大久保公園の正門横に建碑された「瑞祥の碑」には大久保公園の由来が刻まれています。この「瑞祥の碑」に基づきながら、明治維新後の同家の動向と大久保公園、周辺の諏訪町について紹介します。 大久保公

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