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クンクメール強豪撃破ならず〜プノンペン遠征の”侍ファイター”中村慎之介

タイのバンコクを拠点としている日本人ムエタイ選手、中村慎之介は、今年1月にRWS(ラジャダムヌン・ワールドシリーズ)に出場して以来、音沙汰がない状態だったが、より良い形での選手活動継続を模索したうえで、所属ジムを移籍し環境を新たにしていた。

中村は1月22日のRWSではイランのモハメドラザ・ユーセフに惜しい判定負けを喫した。その後、中村のタイでの師匠と言える存在で、これまでの所属ジム創設者のジッティ氏が、新しくジム(新ジッティジム)を ペットプラシットムエタイジムに間借りする形でスタートし、それに合流することにしたという。新ジムは、以前の所属先の旧ジッティジム(現Rithirit Gym Academy)と同じラチャダーピセーク地域にある。

新ジッティジムの面々、中央の中村慎之介の右が
ジッティ会長

ここで中村は、元ラジャダムヌン王者のラジャサックトレーナーらと毎日ハードなトレーニングを積み、コロナ渦前にMX MUAY XTREMEなどのイベントで連勝を重ねていた頃の感覚を取り戻してきたという。

そして中村のジム移籍後の初戦も決まった。5月14日にカンボジア・プノンペンでのガンズバーク・クンクメール・スーパーストライクという、スポンサーのカンボジアのビール会社、ガンズバーグ社の名が冠についたイベントへの出撃である。中村はこれまでカンボジアでは7戦を戦い、5勝2敗と勝ち越しており、験(ゲン)の良い土地と言える。

しかしプノンペンまでの移動については、バンコクから自力でスリン県に向かい、そこでプロモーターと集合し、他のタイ人選手や外国人選手とハイエースなどのバンでプノンペンへという行程である。飛行機で現地入りする手もあるが、試合予定や会場の変更はしょっちゅうなのと、クメール語でのやり取りもあり、単独行動は難しいと判断したそう。タイ人選手と一緒の不便な移動もひっくるめてのカンボジア遠征と覚悟しているようだ。

半日以上、悪路をバンで移動して、辿り着いたプノンペンでの宿泊先は地元コーディネーターの自宅で、他のファイターや関係者とクーラーもない同じ部屋に泊まるという。しかしながら長時間の移動の中でのコンディション作りにも慣れており、「日本人、外国人だからと特別扱いされるのではなく、現地選手と同じ扱いだからこそ、こちらで活動する意味がある」と述べる中村は求道者のようだ。

今回の遠征では現地入りの前に、試合は三回戦(3分3ラウンド)と聞いていたものの、直前に五回戦(3分5ラウンド)と告げられたという。中村のこれまでのクンクメールでの実績から、現地でも有名なソーン・バンナという20歳の選手との試合となった。ソーン・バンナのこれまでの戦績は37勝4敗(別資料では59勝9敗)とされていて、いずれにせよ、これまで34勝22敗2分の中村と比べて勝率が遥かに高い。ソーン・バンナと中村慎之介の試合は、この日全5試合中のメインイベントとされた。

ソーン・バンナは毎月のようにリングにあがり、
勝利を重ねている。
5月14日のGANZBERG KUUN KHMER SUPER STRIKEのポスター

クンクメールは、ほぼムエタイと同じような格闘技であり、近年よく目にするようになった。タイ(ムエタイ)とカンボジア(クンクメール)で起源がどちらか論争も起こっている。カンボジアでは、毎週のようにテレビファイトが行われている様子。タイを経由に様々な国のファイターをカンボジアに呼んで国際戦が組まれることも多い。

ここ最近は、日本から直接カンボジアへ選手が派遣されることもあるが、中村は日本の格闘技ファンに知られることもなく、すでに8戦を戦い、日本人のクンクメール挑戦のパイオニアとも言える。

クンクメールでは8戦を経験している中村
RWS王者、ラムナムーンレックもカンボジアに遠征。有名選手をタイから招聘することも。

中村によると、カンボジアでの試合では、試合直前にラウンド数が代わる、対戦相手が代わる、契約体重が代わるなどいい加減なところがかなりあるという。体重に関して中村の今回の試合では61キロ契約だが、プログラムには60キロとあり、計量には60キロ以下で挑んだという。(実際には61キロ契約だった)過去には約束の体重が違っており、試合当日に急に体重を落としたこともあるそう。

現地テレビ局のPNNのスタジオ内での一戦となった実際のソーン・バンナとの試合は、映像を見ると、1,2ラウンドと積極的な中村のフック、ストレートでソーンの顔が跳ね上がるシーンもあり、中村に振っても良いラウンドだった。このままソーンを攻略できるのでは、と期待を持たせた。

試合前の中村、セミファイナルに出場のクンキアット(タイ)、タイ人コーディネーターと。

しかし、休みなく左右ローキックを繰り出すソーンも不気味。中村はローキックは全てカットはできず、結構な数を被弾してしまう。またソーンの身体も強い印象、積極的な動きに野生味が溢れている。

ソーンに攻め込まれる中村

3ラウンドはソーン、左右ローキックは止まらないが、中村も手を出し続ける。そして4ラウンド、既に真っ赤になった中村の左右太ももにローキックが更に襲い続ける。中村は脚の踏ん張りが効かなくなり、座り込むようにそのままダウンしてしまう。脚の自由が効かないまま、そのままノックアウト負けとなった。

序盤は競っていた内容だったが、ローキックにやられてしまった中村「ここまでローキックを打たれたことは今まで58戦しているが経験がない。効いてしまった」と話していた。そのダメージは、ONE Championship 日本大会のスーパーレック対武尊戦で、武尊が脚に負った怪我と重なる。

試合後には応急処置のみで陸路でバンコクに戻った中村、当初は歩行もままならず、脚の怪我を癒すのに時間が掛かったようだが、また声が掛かればカンボジアで、クンクメールに挑んでいきたいという。

小説「神々の山嶺」で作中の登場人物の羽生丈ニ(登山家の故・森田勝がモデル)の独白が今も強く印象に残っているという中村はこう話す「そこに山があるからじゃない。ここに俺がいるからだ。これしかなかった。他の奴等みたいに、あれもできて、これもできて、そういう事の中から山を選んだんじゃない。これしかないから、山をやってるんだ」という、羽生のセリフは格闘家にも通じる言葉に感じた。なぜ自分は格闘家になる事を志したのか、なぜ戦いたいのか? と最近は己と向き合う時間が多い。自分にとって戦うという事は自分を表現すること、自分の人生を最大限に全うすることなのだと思う。まだまだ燃え尽きていない。やれるところまでやってみたい」。

今後の活動にも意欲を示す、中村慎之介の次戦については、クンクメールになるか、RWSなどタイ国内の試合になるか、この原稿を書いた2024年6月19日の段階では未定となっている。

※中村対ソーンは、Youtubeでの観戦

↓ ↓ 5月14日の”GANZBERG KUUN KHMER SUPER STRIKE”の動画(全試合)


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