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休日出勤の定時を待ちながら不条理について思う

ここ最近、どうしても出なければならない用事があって休日出勤している。用事そのものは午前だけで終わるのだけど、「休日残業」だと残業が増えてしまうので、定時まで仕事をして代休を取らねばならない。残業を減らす大義名分のもと、本来は帰宅できる休日午後に会社で定時を待たねばならないのも「なんだかなぁ」と思う。会社はそういうところだ。

一緒に定時を待っていた居残り組と雑談がてら、「自分の仕事がマニュアル化できない」という悩み相談(?)を聞いていた。マニュアル化が苦手なのか?マニュアル化しにくい仕事だったのか?によっても話は変わってくるけれど、後者であればそれこそが人がやるべき仕事やから胸を張っていい。自然言語でマニュアル化できるお仕事は、表現の曖昧さをなくしてゆくことでプログラミング言語へと翻訳できる。つまり、人がやらなくてよい仕事になる可能性が高い。

定時を待つ時間潰しとして、彼女の担当業務のうち最も人間のすべき仕事ではなさそうな「イベントの案内メールの文面作成」を自動化するプログラムを作ってあげた。何パターンかある定型文を使い分けて、日付、開始時刻、準備物などを差し替えるもので、手作業でやると面倒臭いだけてなく誤りが混入しやすい。チャチャっと作ると大変喜んでもらえた。自分にとって楽勝となる能力を活かして、ハタをラクにして喜んでもらえるのが「働く」ことの本質に思える。ただそれが自分に課せられた役割ではないため、1mmも私の評価には繋がらない。縦割り組織の評価に当てはめれば私は「時間潰し」をしてサボっている扱いになる。会社はそういうところだ。

マニュアル化→自動化できる仕事を丁寧により分ければ、人間にしかできない仕事が密度高く残る。ここに属人化の問題がつきまとう。その人がいないと仕事が回らなくなる「属人化」は会社にとって都合が悪い。この休日出勤も俗人化のために発生している。カッコよく言えば「俺にしか出来ない」けれど、社会人としては「移管できていない」と評価される。持ち前の文章力でマニュアル化するも、読みながら作業していては求められるリアルタイム性が満たせないことも分かっている。同じ場で呼吸法を伝授するしかない類の仕事もある。私が創り出したお仕事に対して、人材確保して移管の準備をしてくださっていることは有難く思う。

大企業から尖ったサービスやプロダクトが出ない原因についても、属人化を悪とすることに原因の一端があるような気がしてならない。尖ったデザイナーにしか生み出せないデザインは角が取られて、普通の人でも再現よく生み出せることを良しとする力が働くから、70点を目指すデザインになるんじゃないか(別の要因として満足させるべき人が多いことも挙げられる)。でも、そのおかげで言葉に落とし込むことができる範囲で仕事がなされるので、一定レベルの人を連れてくれば替えが効く。会社はそういうところだ。

メールボックスを見ると、労働組合に出した休日出勤の協定書類に不備があって突き返されていた。「2週連続」の項目に該当するのにマルが付けられていない不備らしい。そこまで分かってるならマルつけてくれたらいいのにと思った。でもそうじゃなく、組合員の残業の実態を管理職がちゃんと把握した上で協定を結んでいるという体裁のものだから、不備があっては駄目なのだろう。ただ、この書類を修正して承認ルートを回すというお仕事が1つ増える。ハードルを高めたところで、やらねばならないことは変わらない。この儀式はどのハタをラクにしているのだろうか?

あみだくじで「当たり」を引いて労働組合の支部委員をやっていると、こちらも物凄い無力感を感じる。在宅期間でそもそも出社していないのに、紙媒体の配布物を大量に運んで周囲の人に配るというお仕事は課せられている。その無駄について質問しても、定型の回答が返される。たまに出社すると配布物の束が重すぎて「ウッカリ労災」に繋がりそうなくらいの量になっている。あの紙束を見ると、今まで通り活動を続けること自体が目的化していて、何も変革しない意思表明に思える。そんな定型を返す組合活動こそチャットボットに置き換えられたらいい。いや、なくなってもいい。

休日出勤の定時を待つ心情描写のように、とりとめもなく「働くことの不条理」について垂れ流してしまった。ここまで読んでくださったとしたら、お付き合いありがとうという気持ちになる。

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