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いわゆるまちづくりが肌に合わない話

いろんな考え方の人がいて、いろんな方向から策を仕掛けるのが健全。というのが私の考えの前提となる。

その上で、私自身が取り組むとしたら、いわゆる「まちづくり」と呼ばれる活動一辺倒になるのは肌に合わないことに最近になって思う。

もちろん、いろんなイベントが開催されることで街に活気が生まれるし、コミニュティのおかげで人と人が繋がるし、共同で使えるインフラが整備されるのも無条件に素晴らしいことだと思う。私自身も地元愛から呼ばれたら参加する。

一方で、「まちづくり」を生業とする人が旗振りして補助金をとって何かの取り組みを成し遂げたとして、その取組をまちの人々の手で継続させるのは難しいことも感じる。

「まちづくり」を生業にする人にとっては、自走してしまうと仕事がなくなる。まちの人々がボランティアでリソースを割いていては、本業に支障が出てしまう。そのため、一過性の取り組みであり続ける方に引力が働く。

「まちの人々のため」ではあるんだけど、どこを探しても個体としての「まちの人々さん」は居ない。個と集団では思惑が違うのは、ご近所でも市町村でも国でも同じだろう。あたりまえのこと。

「まちの人々のため」の対立軸として、私は「自分の利益を追求するため」を据える。少なくとも商売繁盛させたい人はちゃんと存在する。

一見利己的にも見えるけど、そもそも企業活動は自分の得意を活かして世の中を良くするためにやってるんだから、志を持って商売していたらまちの活気には繋がる。

飲み屋さんに集まる人々も、広い意味で言えばコミュニティの役割を果たしている。お酒飲めない人もいるけど、反対に意識高いコワーキングにハードル感じる人だっている。

小さな集まりが選択肢としてたくさんあれば、大きな箱物はなくても機能する。人を介して繋がっていれば、全員と繋がる必要はない。

持続性の意味でも、自分が儲けようとする奴は信頼できる。そんな考えで、ここ最近は個人の商売を何かしらのクリエイティブで応援しつつ、メシを食っている。

ただ、まちの人々はクリエイティブに対する適正価格を払えないギャップもある。クリエイティブによって利益を増やして、その一部をいただくくらいの実力でないと、絵に描いた餅なんだろうなぁとも思う。

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