オンライン配信のチームづくり
手弁当でアップデートを繰り返しているオンライン配信のスタジオが、会社の某新商品の発表でも活用されることになった。本来は記者さんを集めてプレゼンするところ、このご時世なのでオンラインで執り行う。
私にも応援要請があったものの、当日おうちの用事で出社できなかった。私が不在でもちゃんと会社は回るのは有難いと感じた。もちろん、事前のやり取りで引き継いでくださった広報の人々や、チームのみなさんの頑張りのおかげである。
以下は、オンライン配信のお仕事を通して感じた希少性と標準化の葛藤と、チーム作りについて。
希少性を手放して標準化する
それなりの規模の会社でやるお仕事は、以下の2つのStepをクリアする必要がある。
Step1. 仕事のやり方を変革させる
Step2. それを誰でも出来るようにする
「オンライン配信できるようにした」ことはStep1の例となる。社内で誰もやらなかったことを実行にうつす希少性に価値がある。組織全体から求められて最初に出来るのは優秀な人だろうから、普通の人であれば個人的な情熱を追及するのが狙い目だと考えている。なぜなら、他の人は気付いていないのに、自分だけが気付いている価値だからである。
「私がいなくてもオンライン配信できる体制をつくった」ことはStep2の例となる。誰でも出来るような標準化に価値がある。仕事が属人化してしまうと、その人がいなくなれば会社が回らなくなるリスクを抱える。オンライン配信のお仕事を標準化することで、属人化から解放できたので私は休暇を頂くことができた。
ただ、標準化の過程でStep1で自らが築いた障壁を、自分の手で壊さなければならず、ここに抵抗を感じて抱え込む過ちを犯す人は多い。もし、Step1が出来る能力があるなら、早く手放して別のことでStep1を追及するのが会社にとって良いと考えている。
先ほどは「巷では俗人化が悪とされている」意について書いたけれど、大企業のデザインがイマイチ尖っていない諸悪の根源は標準化にあると、頭の片隅では思っている。よく「なぜ日本には○○○のような偉大な人材が育たないのか」と叫ぶ一方で、そのような人材を社員教育で潰している。標準化と出る杭を打つのは表裏一体なのだ。
ものづくりにおける開発と生産のようなもの
私はかつて開発のお仕事をしていた(今はデザインのお仕事)ため、上に書いたStep1とStep2の関係は、開発と生産の関係に通じると捉えている。
凄腕の開発者が職人技で組み立てる手順書は、工場のパートさんには真似できないので、いくら凄腕の技術があっても非難される。開発者のお仕事として、生産に移管するところまでが含まれる。
開発・生産のメタファーから教訓として展開できそうな話題に、生産の「ライン方式」と「セル方式」がある。前者の「ライン方式」は、ベルトコンベア上に部品が流れてきて、立っている人が自分の担当工程を組み付けるもの。後者の「セル方式」は、1人の人が複数の工程をこなして完成品まで作り上げるもの。
それぞれ向き不向きはある。同じものをできるだけたくさん作るには、前者の「ライン方式」が向いている。少量多品種など臨機応変な作り分けが必要だと、後者の「セル方式」が向いている。自分が作業するならば、延々と同じ作業を繰り返す「ライン方式」よりは、学習コストは高くとも「セル方式」の方が楽しくてやりがいあると感じる。
みんなで1つを成し遂げる意味ではモノづくりと違うけれど、オンライン配信のチームづくりには「セル方式」が適しているというのが私の持論である。
ライン方式を選んで「あなたはカメラの切替担当ね」「あなたはテロップを操作してね」と守備範囲を狭くすれば学習コストは低いけれど、思いもよらないトラブルに対処していると持ち場の作業が疎かになる。全員が端から端まで出来るようになっていて、トラブルで手薄になった人をカバーできる方が堅牢である。
手順書神話に物申す
属人化を避けて標準化するための策として、会社では猫も杓子も「手順書を作れ」と言われる。例に漏れず私も、構築したオンライン配信のスタジオの運用マニュアルを書いて、漏れなくノウハウを言語化した。
その上で言いたいのは、「どんなに手順書を厳密に書いても読み解けませんよね?」「いちいち読んでたら現場のスピードについていけませんよね?」である。手順書のかわりに必要なのは、「状況に埋め込まれた学習」だろう。
ノウハウは現場の状況に埋め込まれていたとすれば、手順書として引き剥がすと本質が失われて当然である。かわりにやるべきは、正統的周辺参加である。
正統的周辺参加(LPP)は...学習を文脈的社会現象と捉え、共同体実践を通して獲得されるものとする。LPP によれば、新規参入者は、初めは簡単でリスクの低いものの共同体にとって生産的で、更に先の目的にとって必要となる作業に参加することで、その共同体の一員となる。
初めて手伝いに来てくれた人がいたら、周辺参加として「あなたは出音をチェックして」とお願いする。そうやって現場の緊張感を感じ取り、誰が何をやっているかを一緒に観てもらいながら、徐々にスイッチャー操作やら、カメラワークやら、重要な作業へと守備範囲を広げてもらう。そうやって熟練者となって新しいメンバーを迎え入れると、チームが自走しだす。
大切なことを手順書に書いていても、抜けることは避けられない。「なんでわざわざそんなことをするのか」の背景には、過去の失敗や反省の積み重ねがある。会社のプロセスにはそぐわないけれど、同じ釜の飯を食って共有される空気感やら、言葉にするまでもない価値観の共有やら、「あのスポーツ中継のスイッチングは神がかってたよね」という雑談は意外と大事なんじゃないか。
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