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国語は苦手だったのに、noteはおもしろい


僕は国語がとにかく苦手だった。


それも現代国語。高校生の時、10段階評価で「1」を獲得していた。漢文とか古典はまだマシだったけれど、国語テストで「○○を要約せよ」とか「○○を述べよ」と書かれるのが一番困るタイプだった。「そんなのを僕に聞かれても困る」とつぶやいていたほど。そういう学生時代だったので、何を書いても×をもらってて、最後まで意味が分からず卒業したのです。それ以来、もう国語には近寄らないで人生を歩もうと決意。

そもそも「ファイナンシャル・プランナー(以下、FP)」という資格試験を選んだのも、テストで国語力が求められないからという理由だった。税理士や会計士は教科書をみると法律が載っていて、いわゆる「解釈」の話がでてくる。これは僕の一番苦手なやつだ。近寄りたくない。そういう理由でFP一択となった背景があります。

そして、晴れてFPになった後、これでもう現代国語とは関係のない人生が歩めると喜びました。これから羽を伸ばしてのびのび働いていこう…そう思った矢先。もっと早く気づくべきだったという国語の問題に気づいてしまったのです。

たとえば、ホームページ。そもそも文章を書かなければ、なにも始まらない。ブログだってそうです。ここでもやはり文章を書かなければ、なにも始まらない。結局、国語力が必要なのはなにも変わらないじゃないか…。なぜ気づかなかったのか…と嘆きました。しごく当たり前の話なのですが、だって日本語ですからね。

こういう背景から僕にとって「文章がおもしろい」なんて波は、これまでの人生になかったことでした。しかし、noteという街に出会って、日常にあるおもしろさや文章を書くのを素直に楽しんでいる人たちがたくさんいるのをみて、すっかり魅了されてしまったのです。世の中には、言葉で表現するのがうまい人がこんなにもいるのかと。以前ブログを書いていた頃にはない気づきでした。

当時、、、いや、現在もかもしれませんが、僕はビジネス系のブログ記事を読むと情報で胃もたれしてしまうタイプで、だんだん苦痛になってくるのです。ところが、noteにはそういう空気がない!むしろ、日常にある何気ない日々のおもしろさがありありと表現されていて、気が付けば移動中のバスなどで読む習慣になってしまったのです。

僕は国語が苦手だったのではなくて、好きになる文章に出会ってなかっただけだったのかもしれない。そう思うようになりました。


おわり


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