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#0019 初めて娘氏がお友達を噛んでしまった…

妻氏「仲良しの●●ちゃんと喧嘩して嚙んじゃったらしいの。」

3日前、保育園のお迎えから帰ってきた妻から衝撃のニュースを聞いた。

お迎えに行った際、園長先生から報告を受けたらしい。
娘が保育園でお友達に危害を加えるのは初めてのことだったので、話を聞いた瞬間は衝撃を受けた。

しかし、当の本人は極めてご機嫌でお風呂上がりの時間を楽しんでいて、保育園でそんな大事件があったことなど感じさせない普段通りの雰囲気を醸し出している。

よくよく話を聞くと、保育園の先生が上手く戦後処理をしてくれていたらしい。さすがである。

親となると決めたときから、この子の責任は俺が負う覚悟が出来ていたので、お友達の親御さんにお詫びにいかないととも思ったが、どうやら軽傷のようで、先方も怒っていないようだ。そこまでのハレーションには至っていないようだった。

今日は娘氏が初めてお友達を噛んでしまったことを振り返りながら、親として得た気付きについて書きたいと思います。

どうか最後までお付き合いのほど宜しくお願い致します。(2802文字)


⚫︎「愛」の限界

娘氏とお友達との間で発生した紛争については、退園際に園長先生から小声で呼び出されて聞かされたらしい。あまりの衝撃に妻氏は泣きながら報告を受けていたという。娘氏は3歳なので、もう立派な歯がそろっており、本気で噛まれると大人でも痛い。

私も妻氏から話を聞いたときは衝撃を受けた。「まさかうちの子が」「うちの子はいい子なのになぜ」という親バカが我が子をかばう感情が瞬間的に覆いつくし、そのあとで「お友達はケガをしていないか」「お詫びにいかなければ」という相手のお友達を気遣う感情が湧き、「どうしてそんなことになったんだ?」という原因を究明したいという思いが湧いてきた。

これが、我が子が初めてお友達に危害を加えてしまった時の、僅か数秒のうちに廻ったありのままの親の感情の推移である。やはり親というのは先に自分の子をかばうものなんだなと振り返ると思う。

ただ一方で、今だから思うことだが、これも「愛」の限界なのではないかと思う。

VoicyFESの芳麗さんと大愚和尚の対談で、「国を愛しているといって同じ人間同士で戦争をする。愛している仲間を守るといって人間同士で争い殺しあう。これが愛の限界なのです。敵味方、関係なく慈しみなさい。お互いのなかに必ず普く通ずるものがるから、それを見つけることが大切です。そうすれば違いを乗り越えて全員に優しく接することができます。それが慈悲の心です。」といった趣旨のことを大愚和尚が『普通ってなに?』というテーマでお話をされていた。

「愛」の限界というものを今回の出来事で感じるとともに、「俺に慈しみの心ないな」と思ってしまった。これが、今のありのままの自分の心の姿なのだろう。

⚫︎「成長」の証し

詳しく事の顛末を聞くと、娘氏がやること話すことを全てお友達が完コピして真似をしていたらしく、それに対して娘氏が「真似しないで!」とブチ切れたということのようだ。

お友達が怪我をしていないこと、そしてお友達の側にも非があるということで、ハレーションに至っていないのだろうと思った。内心、先方がモンスターペアレンツでなくてホッとした。

少し冷静になって考えてみると、2つの点で娘氏の成長を感じた。

① 真似されるということ

たぶん3歳児クラスで娘氏が一番口が達者だと思うくらい、おしゃべりが上手である。

ここからは推測だが、娘氏を真似したくなるくらい、おしゃべりが上手ということなのかもしれないし、子供なりに娘氏を真似することによって、言語を習得しようとしているのかもしれない。

だとするならば、お友達のお手本に娘氏がなっていることなのだから、誇らしいことではないか?と思えてきた。

これも親バカだからかもしれないので、十分に気をつけなければならないとしたうえでなのだが、そのような見方も大切かなと思う。

② 気持ちを伝える

幼児が人を噛むときというのは、自分の気持ちを言葉で表現することが難しいので、そうした行動に出てしまうというのは、よく言われていることだが、娘氏は過去にそうしたことはほぼ無かった。なのに噛むとはどういうことか?と思ったのだが、話を聞くと、「真似しないで!」と何度も何度も思いを言葉にして伝えていたという。

きっと何回も言っても伝わらないから、噛むという行動に出てしまったのだろうと思うが、しっかりと自分の気持ちを伝えることが出来るということは、成長の証しではないだろうかと思う。

しかし、お互いに大きな怪我などしていなくて良かった。

⚫︎保育園の先生のファインプレー

紛争が発生した際、娘氏に噛み癖がないことを知っていた先生は、ある程度は泳がせていたようだが、事が起こった後は、しっかりと娘氏に理由はわかるけど噛んだらダメということを諭してくれていたようだ。

そして、そのあとは娘氏が大号泣をするのだが、しっかりと気持ちを受けとめて優しく抱きしめてくれていたらしい。

だから、おうちでは「なんでそんなことしたの?」とか掘り返さないでくださいね。すでに本人のなかで消化しきっていますから。とのことだった。

だから、自宅でも普段と変わらない雰囲気で過ごしていたのだろう。
いつも思うのだが、保育園の先生なくして夫婦共働きは成立しないし、親の先生でもあるなと尊敬の念を抱かざるを得ない。

⚫︎気付いてあげれなかった反省点

ここ数週間の娘の様子を振り返ると、「今日、保育園ある?」と聞いてきて「あるよ」と答えると、「嫌だー」と朝から大騒ぎすることがあったり、「●●ちゃんと喧嘩したんだー」とお風呂で話してくれることもあった。

私も子供の頃、幼稚園に通うのが嫌で発狂していたことを覚えているし、消防車で幼稚園に通ったこともあった(実家が書店でたまたま消防器具の点検に来てくれていたところ、幼稚園に行くのが嫌と発狂していた私を気兼ねて消防署に戻るついでに幼稚園まで乗せてくれたという思い出[ネット時代の現代ではあり得ない話だが])。

だから、幼児あるあるだろうと、そこまで深刻に受け止めていなかったのだが、自宅で娘氏がすっきりした表情ですごしているのを見ると、今まで小規模な紛争がお友達との間で発生していて、嫌な気持ちをため込んでいたに違いないと思った。これは親として反省すべきところだ。

私も妻氏もどちらかというと思っていることを即言わないタイプかと思うので、娘氏もそうした性質を受け継いでいるであろう。先述の通り、自分の気持ちを伝えることができていることを称賛していたが、実はため込んでいたのかもしれない。そう認識したうえで、娘氏の言動や行動などの変化を敏感に感じ取りながら、今後、娘氏と向き合っていきたいと思う。

親としても非常に学びある出来事であった。娘氏ありがとう。

そして最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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