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#0086 『光る君へ』第二話「めぐりあい」みましたよ

昨日、風呂上がりに見ました。第一話から6年が経過し、まひろ(紫式部)も道長も成人していました。その間、二人は一度も会っていないようで、この回で偶然の再会を果たします。この辺から、現代風恋愛ドラマ的な空気になってきて、本当にこの時代の人もこんな感じだったの?という変な違和感を感じつつ、「まぁドラマだから楽しもう」と思いながら見ていました。(1220文字)

○平安時代と現代で違うもの:時間の流れ

主人公のまひろは、父の影響から漢文や歌の知識や創作能力が高く、絵師が仲介して客の希望に応じて歌を書く代筆の仕事を父親に内緒でしていました。小さな小屋の仕切りの奥の板の間で姿が見えないように仕事をしています。客が要望を伝えると、それに応えて歌を書いて小さな渡し口を通して書いた歌を渡します。実際にそのような史実があったかは、わかりませんが、多くの庶民は読み書きができなかったであろう点と、なんとなくこの時代の恋愛や恋文は歌でやりとりしているというイメージがあるので、こうした仕事の需要は相応にあったのではないかと想像します。

代筆屋のシーンで複数の歌が登場していますが、文字が読むことが出来なかったのですが、「美術展ナビ」というサイトで紹介されていました。

ちりゆきて またくる春はながけれど いとしき君に そわばまたなん

美術展ナビ【光る君へ】第2回「めぐりあい」回想より

いまやはや 風にちりかふ 櫻花 たたずむ袖の ぬれもこそすれ

美術展ナビ【光る君へ】第2回「めぐりあい」回想より

寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔

美術展ナビ【光る君へ】第2回「めぐりあい」回想より

心あてに それかとぞ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花

美術展ナビ【光る君へ】第2回「めぐりあい」回想より

こういう歌を詠んで、思いを巡らすというのは、今のように時間の流れが速いとなかなかできないことであると実感します。大河ドラマも現代風な演技・台詞ですが、実際はもっと話す速さや動きなどの所作は、めちゃめちゃゆっくりだったのではないでしょうか。ゆっくりとした時間的な流れと、こうした歌を味わい深く詠む「間」の存在。これが平安時代と現代の違いなのかもしれません。

○平安時代から変わらないもの:親心

また、代筆屋ではなく、まひろが成人する儀式を行っているシーンで、なかなか出世できない父親を見て、このような歌を詠みます。

人の親の心は 闇にあらねども 子を思ふ道に 惑ひぬるかな

人間の親心というのは闇ではないのだが、我が子を思う中では困惑し、迷ってしまったのだなぁ。という意味だそうですが、「普段どれほど理知的な人でも、我が子のこととなると、親バカになったり、冷静さを失ったりする」のは、平安時代も現代も変わらないなと思います。

最後まで続けられるかわかりませんが、大河ドラマの感想を続けていきながら、時空を超えた旅を通じて、色々な気付きや学びを得ていきたいと思います。

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