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#0106 POTLUCK FES’24 Spring:静かなる革命(1/2)

3月8日(金)にPOTLUCK YAESUで開催された”POTLUCK FES’24 Spring”に参加してきました。

ぎりぎりオープニングセッションに間に合い、株式会社雨風太陽の代表取締役:高橋博之さんの物凄い熱量のお話を生で拝聴する機会を得ました。

株式会社雨風太陽 代表取締役・高橋博之さん

ストーンと腑に落ちるとはまさにこのこと。

心が動くとはまさにこのこと。

お聞きしながら涙が出そうになるくらいインパクトを受けたので、記録・感想とともにこちらでシェアをさせていただきたいと思います。

まずはオープニングセッションの前半・能登半島地震の内容から。(2795文字)


○考える前に動く!

オープニングセッションは能登半島地震の話題から始まりました。

株式会社雨風太陽は東日本大震災をきっかけに生まれた会社。
地震発生直後は、道路が混雑して緊急車両や救援物資の到着が遅れるので、素人は現地に行くなという空気がありましたが、「俺たちが動かないで誰が動くんだ!」「考える前に動こうよ!」という思いで、高橋さんは即座に能登入りされたそうです。

それが「都市と地方をかきまぜる」という創業以来、不断に発信し続けるメッセージを体現することであり、雨風太陽の存在意義であるという強い言葉が投げかけられました。

○13年間で老化した日本社会

今年は東日本大震災から13年です。

毎年、3月11日になると、あのとき何をしていて、どんなことを感じていたかを思い出したり、周りと話したりします。

・私の東日本大震災

少しだけ、私の経験を話させてください。

私は当時銀行員でした。
都内のとある支店でPCワークをしていました。
買い占め行為が発生してコンビニやドラッグストアの在庫もなくなりました。公共交通が停止して混乱した街では、我先にと利己的になる人がトラブルを起こしたりなど、東京では人間の良くない部分を見たように思います。

一方で甚大な被害を受けた被災地は、多くの人々が助け合って、困難を乗り越えようとされていました。阪神淡路大震災の経験から、全国からボランティアの方々や地方自治体・企業などから応援が被災地に入り、ともに立ち上がろうと「絆」という言葉が強調されるようになりました。

・13年前の日本と今を比べて

私のお取引先でも営業拠点が被災されたり、社員のご実家が被災されたりということで、ご支援をさせていただき、一度だけ現地を訪れた際は、泥だらけになりながら被災現場を目の当たりにしました。金融の立場からこのような経験をさせていただいたことは今でも財産になっています。

高橋さんの能登の現場のリアルを伺いながら、私は私の東日本大震災を思い出しつつ、能登半島地震とを対比していました。

当時は「自粛」「計画停電」など、まるで世界の終わりのような暗い雰囲気はたしかにありましたが、エネルギーある人たちが被災地にいくことについては、今ほどブレーキをかける空気はなかったかのように思います。

むしろ今は現地に行こうものなら批判されることが多いのではないでしょうか。私はその違いを感じました。

・なぜ現地入りして叩かれる?

高橋さんは言います。

「現地入りした人が、なぜ叩かれてしまうのか?」

「限界集落を復興させても仕方がないという主張が出てくるのはなぜか?」

「能登に行くと全然人がいない。地域外から来る人のリソースを必要としているのに少なすぎる。復興しよう!というエネルギー、活力がない。能登半島が付け根から切り離されてしまった感覚。」

「それはこの13年間で日本社会が老化したということです。」

東日本大震災のときは、全国から人が来て関わる人がたくさんいて、元気をなくした被災者の方も元気を取り戻して、復興に向けたエネルギーが生まれたのに、今はそれがない。できない理由を作っている。できない理由を乗り越えてアクションを起こすエネルギーを日本は失っているということ。私は深刻に受け止めました。

○縮小社会の恐ろしいところ

高齢社会だとか、失われた30年だとか言いますけど、最もヤバいのは、成熟国家への移行に失敗し、拡大社会に行ってきた大量生産大量消費を未だに続けている結果、経済的な規模の小さい地域を我関せずと切り離そうとしている。しかも無意識に。これが縮小社会の本当の恐ろしいところです。

今まで私は縮小社会でも社会機能を維持するには、公民連携が一つの解ではないかと思っていましたが、もうそんな悠長なことは言っていられないのかもしれません。

・分水嶺に立たされている日本

高橋さんは言いました。

「能登には、そこにしかない伝統、景観、文化がある。」

「能登とどう向き合うかが日本の未来に何を残すかに直結する。」

「今、我々は日本の未来の分水嶺に立たされている。」

令和の時代は、今を生きる現役世代の我々が作っていく使命をになっています。我々はどのような未来を作っていきたいのか、我々は子孫にどのような日本を残していきたいのか。これが本気で問われているように思います。

○創造的復興

能登は高齢化率が40%を超える地域だそうです。震災前の過疎や高齢化といった社会課題を解決するような創造的復興を目指していかないと、単に元の状態に戻すだけでは、「日本の未来に何を残すか?」という問いに対して、「限界集落を残す」という答えだけになってしまいます。

総務省ホームページより
総務省ホームページより

雨風太陽のビジョンである「都市と地方をかき混ぜる」が、この創造的復興には必要不可欠であり、都市と能登が混ざり合うことでオモシロイことが生まれ、伝統や文化が革新と継承とともに残っていくのではないかと思います。

そうした営みは、能動的に生きていくことでしか生まれないのだと思います。今すぐ能登に行けないのであれば、間接的にも関与できる方法はたくさんあるし、直接現地を訪れている人を後方支援する方法もあります。現地入りしたい!という方がいたら、高橋博之さんにSNSを通じて連絡をと仰っていましたので、連絡を取られてみてください。

もし、なにもできていないなと思う方がいたら、ぜひcampfireでたくさんの支援プログラムがありますので、そちらからアクションを起こしてみて欲しいです。

私は能登地震と公共施設管理セミナーというチャリティセミナーが3月14日(木)に開催されるので、公共施設の在り方などについて、官民でともに真剣に考えていきたいと思います。

前半は能登半島地震の話題から、都市と地方が切り離されていること、13年間で日本は年老いたということ、いま、我々は分水嶺に立っていることに気付かされました。そこで「都市と地方をかき混ぜる」ことの本質的な意味を知ったのです。後半は「都市と地方をかき混ぜる」をより深堀したセッションになりました。

次回は、オープニングセッションの後半を振り返ってみたいと思います。

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