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#0102 公民連携による未来の在り方を考える

2月19日(月)に「沖縄地域PPP/PFIプラットフォーム」にWEB参加してきました。本当は現地を訪れて、地元の皆さんや登壇者の皆さんと意見交換など交流を深めたかったのですが、諸事情で予算と時間を組むことが出来ず、WEBで失礼させていただきました。

冒頭に津山市の川口義洋さんの講演があり、とても心が熱くなったので、公民連携を活用した未来の在り方について考えたことをnoteに書き留めておきたいと思います。現地行きたかったーー(2972文字)


○行政と民間が一つのチームで!

 ・発注者と受注者という関係性

先日亡くなった伯父が長く東北電力に勤めていた人だったので、生前よくこんなことを言って私に聞かせていました。

「世の中は発注者と受注者に分けられる。常に発注者でいるようにしろ。」

子供のころは本質までよくわかっていませんでしたが、今思うと、公の仕事を長年やってきた伯父らしい言葉だなとしみじみ思います。

この「発注者」と「受注者」という関係性は、どの業界にもある関係性だと思うのですが、「行政」と「民間」、「官」と「民」の間でも色濃く残っています。「行政=発注者」「民間=受注者」という関係性です。

 ・当事者意識をなくす「害」の部分

発注者の行政が考えた通りに受注者は納品するわけですが、この関係性が過度に固定化していくと、極端な言い方ですが、行政は民間に対して「君たちは僕たちの言うことを忠実にやってくれ」、民間は行政に対して「お仕事ください。ちょうだい。いただきます。」となり、言われたことしかしなくなります。

さらに民間の事業者だけでなく住民も、「まちづくりは行政がするもの」となんでも行政任せになりがちです。昨今、市役所などに対して「市は何もやってくれない」など民間の事案にも関わらずクレームを入れてくる例なども聞いたことがあります。

人口が増加する20世紀の拡大社会であれば、このような発注→受注という上下関係の完全分業は効率的であったのかもしれませんが、人口が減少する縮小社会においては、行き過ぎた分業は、当事者意識を失わせる「害」の方が大きいように思います。

川口さんは、大量生産・大量消費が是とされた昭和の時代をイメージしながら、どこの地域でも均等・均質なサービスを行政の大型予算分配で供給することが「成長時代のロールモデル」として継続してきたと指摘されていました。もうこのロールモデルが通用しなくなりつつあるのにもかかわらず、未だに続けてしまった結果、木下斉さんがよく仰る「墓標」と化してしまうやに思います。

社会構造や人々の嗜好や生活様式、価値観などが変化しているにも関わらず、ずっと均等・均質なモノ・サービスを効率分業で作り続けてしまった行く末が今なのでしょう。

○喜ばれるものを作ろう!

川口さんは「建築大好き人間」で愛情が注がれない公共建築を見て寂しいと感じていたそうです。(「自分は何者か」を最初に述べることは、プレゼンをするうえでもとても参考になりました)

私も小さい頃から「マチ」が好きで、建物の絵を描いたり、空想のマチの地図を書いたりして遊んでいたので、マチが廃墟化したり、賑わいがなくなていくのは悲しい気持ちになってしまいまうので、気持ちが想像できました。

 ・「みんな」という罠

当事者意識をなくす構造の結果なのかもしれませんが、行政も民間も実態なき「みんな」の罠にはまっていくように思います。学級委員とか生徒会をやった経験を振り返ると、みんなの意見を聞いて反映しようとすると纏まらなくなってひっちゃかめっちゃかになるんですよね。

真面目にやろうとすると、だいたいはじめはそうなる。それから声の大きい人がやってきて、これをこうしろだの、これはこうすべきだという声ばかりが入るようになり、段々とこの人に同じこと言われないようにしなくちゃと真面目になり、発言力のある人、声が大きい人のためのものがカタチになってしまう。こんなことがありました。

規模は比較になりませんが、行政も同じような構造になるのではと思うことがあります。例えば、公園のクレームです。子供たちの声が煩いから、サッカー禁止、花火禁止といった具合に禁止事項が増えていき、しまいには公園閉鎖に至ったニュースも目にしたことがあります。これでは、誰のための公共か、公園はだれのものなのかが、声の大きい人によって潰されてしまいます。

公共施設を整備するときも、声の大きな人の意見が反映され、実際に利用する人の希望が反映されず、債務の塊、墓標になってしまうなんてことになっているのではないでしょうか。

 ・PPP(Public Private Partnership)

公民連携事業は一般に行政(Public)と民間(Private)が連携(Partnership)して事業を進めるPPPと呼ばれます。まさに行政と民間が発注者・受注者という関係性ではなくイコールパートナーとして手をつなぎ、ともにオモシロイことを実現していく、喜ばれるものをカタチにしていくというのが、人口が減少する縮小社会、そして価値観が多様化する社会に求められる姿なのです。

よく「市はなにもしないではないか!」というオジサンを見たりしますが、そうではなくて、民間にパブリックなマインドは必要ですし、行政も「これは駄目、これは禁止、これは無理」だけでなくて、民間の思いを実現するために行政手続きのプロとして「どうしたら実現できるだろうか」というマインドを持ってくれると真の意味でのPPPができるのではないか。そして、官と民の関係性もチームとしてマチを良くしていこうという方向になっていくのではないかと思いました。

そのように回りだしていったマチが、ここにしかないカラーをもつ施設やサービスをカタチにできているのかなと思います。

○金融の立場で何ができるか

私は金融の立場で様々な事業者の皆さんと官民連携事業に関わらせていただいているのですが、金融は主役ではなく黒子になるべしとは思っています。金融が主役になると、どうしてもハゲタカ感やウォールストリート感がでてしまい、せっかくチームの皆さんがパブリックなマインドを持って取り組まれているのに、ハゲタカ感がそれを上書きしてしまうからです。

なので、主役である事業者の皆さんが、本業の企画検討に集中できるような環境を作り出すために、早めにお金の悩みを取り除くことを念頭に置いています。

いわばチームの番頭というか財務部長の気持ちでしょうか。資金計画のエクセルと格闘し、税理士と格闘し、銀行と格闘し、ときには行政とも格闘します。いまのジブンにできることはこういったことかなと。

こうした役割に価値を感じていただき、官民連携で喜ばれるものを作るお手伝いをする。これが金融の役割と再認識して仕事に励んでいきたいと思います!

沖縄は数年前に地元企業や金融機関が中心になって地域プラットフォームが形成され、昨年からボコボコと官民連携事業が成立しています。私も昨年1件成約し、今月現地の首長さんを表敬訪問したところですが、プラットフォームでの人間関係作りや啓蒙などが一つのきっかけになったと仰っていました。我がふるさと釧路でもこうした地域プラットフォームで官民連携コミュニティができると良いなと思いました。

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