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私だって…
名前
年齢
住所
まただ。
座る椅子が変わるたび、真向かいの人間が最初に発する台詞。
何度お手元の紙に書いてあると思います、と言いそうになったかわからない。
険悪にはなりたくないし、大人だしで、そんなことはわざわざ言わないけど。
目の前の紙に目を落としながら、こちらの答えを確認……すらしなくなったよね。
覚えちゃったんだ。あなた方ももう。
何度聞かれても答えは同じなのに。
もう少し斜に構えて聞いてくれてもいいのよ?と思ったりしてる。
疲れました?
なんて、尋ねてくれなくてもいい。
たぶん、疲れてるのはあなた方の方。
これも言わないけどね。大人だから。
ずっと、同じ順で同じことしか聞いて来ない。
だから、私だって言ってるじゃない。
気がついた時にはその名前で呼ばれてたし、毎年誕生日もやってきたし。
なんなら、来月誕生日だってこともちゃんと分かってる。
住所は…、しばらく帰れてはないけど、たぶんまだあのアパートに私の荷物は全部あるはず。
とりあえずで揃えたままずっと使ってる食器や、去年やっと買えたお気に入りのテーブルとか。
もしかして、なくなってたりしないよね?
何か思い出したことはありますか?
だから
私だって。
私を殺ったのは
******************
パンにするかご飯にするか
なんていう些細なものから、転職や結婚なんていう人生の節目的なものまで入れると、これまで何回取捨選択をしてきたんだろうと。
「たられば」で、選ばなかった方へもし進んでたら、なんてのはだれしも考えたことがある「あるある」の極みじゃないだろうか。
パラレルワールドって言うの?もう一つの世界線って言うの?そういうの。
選択した先にもまた新しい選択があって、選んでる意識がないままそっちに進んじゃってることの方が多分多い気がする。
なんてことを考えてたら、選ばなかった、選ばれなかった方の自分は、今の自分の手で消されたってことだなと。
消すことを選んだのは自分なんだ…なんてことを薄曇りの空を見ながら思ったり。
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