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WOMAN Life Style & Career Interview|一色麻由さん<前編>

女性の自分らしい生き方を応援するための、ライフスタイルとキャリアをテーマにしたインタビューブログ。
今回は、グローバルに事業を展開する企業で活躍する一色麻由さんです。大学時代にそれまでの価値観が変わった一色さん。就職して地方赴任や夫の海外帯同といった大きな環境の変化にも、その中でできる「面白さ」を見つけて対応してこられました。
一色さんがどのように自分らしい生き方を見つけていったのか、ぜひご覧ください。想定外の出来事の連続でモチベーションが激しく上下した話を前編で、海外での妊娠・出産経験や育児と仕事との両立の話を後編で紹介します。


麻由さんの紹介

Q出身地
親の転勤に伴う転居が多かったので、明確にここ!という認識はないのですが、東京での生活が一番長くなりました。
Q幼少期のエピソード
幼稚園時代から仕切りたがり屋だったらしい
Q学生時代に熱中したこと
吹奏楽サークルでの活動や、ゼミ仲間との遊び

一色さんモチベマップFIX

大学で多様なバックグラウンドの友人と出会い、「人」に興味を持つ

――大学ではどんなことを学んでいたのですか?
社会調査・フィールドワークがやりたくて、社会学部のゼミに入りました。フィールドワークに興味を持ったのは、現場を自分の目で確かめ、実際に人と話をしてみたいという気持ちがあったからです。
 実は私は東京の進学校出身で、大学進学は当たり前・いい大学に入るのがよい、という環境だったのですが、大学でさまざまなバックグラウンドを持つ友人と出会い、それまでの常識が覆りました。人の周りにある環境がその人の選択に大きく影響すると感じました。その人がどういった過去をたどった上で今の行動に結びついているか、自分の目で見て、話を聞くことの面白さに気づきました。

――知りたい、という他に、心の中の変化はありましたか?
それまで、自分の考え方や価値観が絶対なものだと思っていました。多様な人と会うことで、自分の視野の狭さに気づき、自分を客観的に見られるようになりました。当時、自分がいかに狭い視野で生きていたかに気づいて相当ショックでしたが、元々ポジティブに考える癖があったのですぐに気持ちを切り替えました。
周りの意見の面白さに気づけるようになったのも変化したポイントだと思います。

――その原動力が、モチベーションの高さに表れているんですね!
一浪してまで入りたい大学だったのと、入学してからも期待以上だったので、満足度が高かったですね。

内定を決めたのは「人となり」をみてくれた企業

――そこから、早めの就活疲れがくるのですが・・・?
3年生の10月頃から就職活動を始めました。世界の多くの人に影響を与え、幸せにできる仕事がしたいと考え、グローバルなインフラ系企業に絞って活動していました。周りの友人がどんどん内定を取っていく中で、希望したところに内定が出ず、焦りでとても辛かったです。

最終的に、4年生の4月末に国内外に拠点を持つタイヤメーカーから内定をいただきました。
その会社は面接を必ず1対1で行い、大学ブランドやTOEICなどのスコアだけでなく、自分の内面をきちんと見てくれると感じていたので、即入社を決めました。

入社後、予想外の地区配属へ

――まさかの地区配属だったんですね。
配属の希望は「営業」で出していました。職種への理解が浅く、「会社の看板を背負うために営業がしたい」という理由からなのですが(笑)。飛行機が好きなので、航空機のタイヤの営業か、商品企画を希望していました。

ですが配属は滋賀県の工場の人事担当。新入社員はほとんどが本社に配属されると聞いていたので、自分だけ地区配属?! とショックで、落ち込みました。また、大学までずっと実家暮らしだったので、初めての一人暮らしに不安を感じてもいました。人事部への配属も想定外。仕事のイメージがほとんどつかず、「採用や研修をやるんだろうな、人と関われるなら楽しそうかな」と漠然と思っていました。

――実際にはどんなお仕事をされていたのですか?
工場で技能員採用と研修企画を担当しました。当時、生産量を増やすために人を大量に採用する時期で、6月半ばに配属され、7月から翌年4月の採用に向けて地元の高校を回って求人資料を先生に渡す、という日々でした。先輩に数回同行した後、すぐに独立し、一人で車を運転し琵琶湖を回って高校を訪問したのが印象的です。当社には早いうちから仕事を任せてもらえるカルチャーがあり、新入社員でも企画の仕事をどんどん任せてもらっていました。

最初の1年はとにかくつらいことが多かったです。工場は男性社会でベテラン社員が多く、現場監督に厳しく怒られ「理不尽だ!」と感じることもありました(笑)。そんな中でもなんとか現場に出向いて多くの社員とコミュニケーションを取るうちに、協力してくれる仲間ができ、やりがいや存在意義を感じられるようになりました。今思うと、工場運営や経営の中での人事の期待役割が分かっていませんでした。そういうことが理解できるようになり、徐々に仕事が楽しくなっていきました。

本社に異動、激務に追われやりがいを見失う

――本社に異動したのはどのタイミングですか
配属当初から「2年」という期限を示されていました。当時女性活躍推進が社内でも始まり、地方への女性配属が始まったばかりで、滋賀の工場への配属は、私が女性二人目でした。2年という期間の区切りがあったからこそ、ここで学べること、できることを全てやろう、というモチベーションに繋がりました。

年1回のキャリア面談で、本社に異動するなら次は労務がやりたいと伝えていました。工場では人事系の仕事中心で、賃金体系などが理解できておらず、人事をするなら労務についても分かっていないと、という気持ちがありました。

――異動後は激務で一気にモチベーションダウンしたんですね。
配属された労務では業務量がむちゃくちゃ多く、毎日深夜まで残業し、寮に帰って倒れ込むように眠る、を繰り返す日々でした。
当時はヘルプシーキングという発想がなかったので、自分に課された仕事はとにかく自分でなんとかするものだという思い込みがありました。

工場人事での仕事のやり方とのギャップにも苦しみました。工場では、現場に出向いて人と話し、困りごとをヒアリングするなど、人と一緒に仕事を進めるスタイルでしたが、本社では全く異なり、法対応のための企画や役員に報告する資料をいかに不足なくつくるか、に追われる毎日。なかなかやりがいを見出せず、労務にいた2年半はつらいことが多かったです。

ーー人と関わりたいという思いを持ちながら、激務に追われ、働きがいを見出せずにいた一色さん。何が転機となったのか・・・<後編>もぜひご覧ください。

麻由さんが「チームへの貢献意識が高まった・管理職の役割について理解が深まった」と実感した『育休スクラ』はこちら!

ライター自己紹介

木下志穂
育児と仕事との両立を応援する育休スクラを担当しています。NOKIOOには2021年4月に入社しました。1歳の息子を育てながらフルリモートで働いています。育児と新しい仕事スタイルとの両立に奮闘中!