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今の自分は未来に導かれている

2024年2月20日(火)。早いもので2月も後半戦です。

さて突然ですが、うさぎと亀の話があります。「亀の歩み」で一歩一歩ゆっくり進む亀を、うさぎは猛スピードで追い抜いていきますが、ゴール前で油断して眠ってしまいます。そんなうさぎを最後には追い抜いて、亀が勝つというお話。

勝ち負けでいうと亀が勝つわけですが、それよりも大事なことがあると思ってて、亀は一歩一歩、その瞬間その瞬間を噛み締めながら、味わいながら前に進んでいたと思うのです。これこそが「亀の歩み」の醍醐味であると思うのです。

うさぎは目的地には早く着きますが、そこまでのプロセスを楽しむことはありません。しかし、亀のように歩みたいのにうさぎのスピードを要求される現代社会でもあります。かめばかむほど味わい深い人生を生きるにはどうすればいいのでしょうか。

わたしは、未来に導かれて今がある、と考えることにしています。

自分の場合ですが、ざっと20年後くらいの明確な将来像(未来)があって、そこに向けてスタート地点に立ってるのが「今」です。で、そのスタート地点である「今」に対しても、これまでの人生で自分が向き合ってきたあれやこれやの課題の数々をこなしてきた「過去」があります。

学校卒業して、就職して、結婚して、子育てして、という人生のステージもそうですが、自分の場合はこれがある限り何をやってもうまくいかないという、自分自身が生まれながらにして持つハンデ(宿命)というのがあって、それを自分の魂から削ぎ落とす、払い落とす作業という「過去」。これまでの前半生かかりました。

今思えば、これからスタートする「未来」に向けてどうしても必要なプロセスであったわけです。今は今で、また新たな課題というのが次々に出てきていますが、これもまたその先の未来から導かれるプロセスなのでしょう。

亀の話を前半しましたが、今というのは未来に導かれていると思います。未来から逆算して、ギリギリ間に合うタイミングでいろんなことが身の回りに起きるのが、今という時。

未来は早く実現したいものです。時間的余裕はあまりなく、ついつい焦ってしまうことも。そんな時に、冒頭の亀の話を思い出すと、
「なるほど、未来に導かれている今というプロセスをこそ楽しむ」という発想が出てくるのです。

未来に導かれる感覚で生きていると、結果的にそうならなかったとしても、「まあいいや。途中いろいろ楽しめたよ」と思える人生になると思うのです。

いろんなことをひとつひとつ着実に歩を進めて、亀のように人生を楽しんで
いければと思います。