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うつ 大学 そしていま

コロナうつが増えていると言う。

目に見えないものを脅威と教えられ、家に閉じ込められた私たちは、自分や家族の身体や精神を簡単に傷つけ、見失いかけていた生きる意味を完全に無くすくらいには、疲弊しているのだろう。

別に誰のため、というのではなく、いや、誰かのため、と思う一抹の傲慢さはあるのかもしれないが、やはりいま、うつのことを書こうと思った。

異常に気づき始めたのは、三年生が始まって数週間が経った頃のことだった。初期症状はとにかく、やる気が出ない・集中力がない・何でも先延ばしにしてしまう。

勉強をしに図書館に行っても何時間も机の前でぼーっとしていたり、提出期限の一時間前になっても課題に手がつけられなかったり。でも私は基本的にテキパキ動けるタイプの人間じゃないので(人はそれを怠惰とよびます)ああまだ夏休み気分が抜けないなあ、くらいに思っていた。(英語圏の大学に通っているため、新学年が秋からはじまります。)

するとだんだん、ひどく疲れているのに夜なかなか眠れなくなり、短い簡単な文章さえも理解するのが難しいと感じるようになった。でも私は、最近睡眠不足で頭が働かないなあ、夏休み英語に触れていなかったから学校に慣れるのに時間がかかるなあ、くらいのノリだった。

そうしているうちに、勉強以外にも、料理や部屋の掃除ができなくなり、パソコンを充電することやコンタクトレンズを外すことなど日常の些細な行動も億劫になっていった。それでも私は、まあ最近忙しいしなあ、といった呑気さであった。

それからだんだんと考えることができなくなっていって、お腹は空くけれど何を食べたらいいかわからなかったり、スーパーに行っても何を買うべきかわからず、小一時間うろうろした末に手ぶらで帰ってきたり。小テスト中には急に頭が真っ白になり、わけのわからないことを書いてしまって、提出した後に、"あれ、答えわかってるのになんであんなこと書いたんだろう。???"となった。

大好きな音楽をかけても、無意識のうちに消してしまうようになった。家路につく途中、タスク管理アプリを開いてどんどん溜まっていくTODOを確認するのだけど、何度眺めても、自分が今日何をすべきなのかわからなかった。授業から帰ってくると、

"今日の授業、あんまり理解できなかったなあ" (よくある)

ではなくて、

"今日はどの授業に行ったんだっけ" "教授は何を話していたっけ"

という感じだった。(そして、これが続いたらやばいなあと思い始めた。)

ある日、weekly assignment(毎週提出する課題)のあるクラスで、自分が先々週から課題を提出していないことに気が付いた。これまでの大学生活、課題の提出が遅れたことはなかったし(徹夜は何度かしたけれど)、一度も授業を休んだことがなかった(あ、インフルエンザのときは休んだ。しんどかったなあ)。そして、あれ、今の私さすがにやばいかも、何がやばいのかわからないけど、きっと何かがやばい、と思った。

"この課題を出さなかったら成績の何%を失う、成績が貰えなかったら落第するかもしれない" と、なんとなくわかってはいるものの、深く考えることができず、"あれ、どうして課題出してないんだろう" と、思考がぷつりと切れてしまう状態だった。そこで友達に、最近ほんとにやる気がない、どうしよう〜と軽いテキストメッセージで状況を説明すると、

"Skip classes. Go see a doctor"
(授業を休んで、病院へ行って。)

と返ってきた。そして他の友達からも電話がかかってきて、"すぐにお医者さんに行って。"と言われた。

二人とも私と友達なだけに(?)いつもは "まあなんとかなるっしょ〜" 的なバイブスの人たちなので、少し強く言われたことに驚いた。でも、それが逆に良かった。当時の私は判断能力が著しく低下していたので、命令口調で言われたからこそ素直に "あ、なんか行けって言われたしとりま行くか..." となった。もしここで "気が向いたらお医者さんに行ってもいいかもよ〜" とか軽く言われていたら、おそらく行っていなかったと思う。

数日後、お医者さんに会って話をすると、

"You need a medication, but it's normal. Lots of people go through this. Don't worry."
(薬を飲む必要があるけど、これは何も特別なことじゃない。たくさんの人が経験することです。心配はいらないよ。)

とやさしく言われた。安堵と不安がぐちゃぐちゃになって、ぼろぼろ泣いた。自分でもびっくりした。

“Get rid of all the stress, and try to spend time with your beloved ones.” 
(今はストレスをすべて取り除いて、大切な人と一緒に過ごしてね。)

その言葉と抗うつ剤の処方箋を握りしめて部屋を出ると、真っ先に思い浮かんだのは家族の顔だった。言わなきゃいけないんだろうか。お母さんが知ったらきっと、すごく動揺するだろうな。大学を辞めて日本に帰るよう言われるかもしれない。

いやだ。大学は辞めたくない。そう思った。

“したくない”という感情は、”したい”と同じくらい、またはそれ以上に強いものだと思う。このとき私はものすごく久しぶりに、自分の感情を意識した。そして、未来のことを少し想像できたのも久しぶりだった。

この時期に鬱だったと言うと、もしかしたら驚く人がいるかもしれない。というのも、普通に人と喋ったり、笑ったり、電話したり、面接したり、できていたから。(この時期、わりと普通に就活を進めていた。少なくとも、周囲から見た感じは、普通だったと思う。)

調べてみるとSmiling Depression(医学用語ではない)と言われるものらしく、鬱の初〜中段階に見られる症状で、うつ状態にあるにも関わらず普通に人と笑ってコミュニケーションが取れるというもの。私も普通に友達と話して笑い、ご飯の約束をし、一緒に買い物に行ったりしていた。(でもだんだんと約束を忘れてしまったりドタキャンしてしまったりが増えた。迷惑をかけた方々には陳謝したい。)

あとは、能動的に考えなければならない課題などは進められないけれど、人から与えらた単純な作業や仕事ならこなすことができた。だからこそ人から気づかれにくいし、自分でも "人といれば元気だしなあ..." と思っていた。

昨今うつで苦しむ人のなかには、仕事や学校を、普通にこなしている人もいるだろう。リモートワークやzoom飲みに、普通に溶け込んでいるかもしれない。

"これがしたい"という気持ちに気づいているか。"やりたくない"という気持ちを意識することはあるか。未来のことを、たまに想像できているか。好きだったテレビ番組が、雑音に聞こえてはいないか。前触れもなく、涙が出ることはないか。

あなたが普通にリモートワークをしているのと同じように、その泣きそうな状態もまた、普通のことなのだ。この世には、普通に苦しんでいて、普通に疲弊している人がたくさんいる。そして、その苦しみから抜け出すために助けを求めることもまた、普通のことなのである。


走っても走っても、叶わないことはたくさんあるのだと、きっと人生とはそういうことなのだと、少しずつわかりつつある。目に見えない脅威に教えられた教訓のひとつかもしれない。悔しいですけど。

でも、歩いていたって、寝転んでいたって、やる気がなくたって、生きる意味がなくたって、生きていける。苦しくても生きろと言っている訳ではない。ただ、私が頑張っていても、頑張れていなくても、それをありのまま受け入れて笑ってくれる人がそこにいる。同じように、あなたが生きているだけで、そのままそこにいてくれるだけで、そのことを心から願う人がここにいることに、どうか、どうか気づいてほしい。

今はストレスをすべて取り除いて、大切な人と一緒に過ごして。大切な人は、家族でもいいし、友達でも、恋人でも、同僚でも、先輩でも、後輩でも、動物でも、言葉でも、自分自身でもいい。意味がなくたって、大切だと思えればそれでいいのです。それがきっと普通のことなんですから。


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