プロフェッショナルの放送があり,密着番組を見返すと自分でも発見があるから面白い.まだ見逃し配信しているし,アカウントの仮登録すれば誰でも見れるので,下のリンクから動画を見てからこの記事を読むとネタバレなく読むことができる.しかし,ネタバレしてから見るのも悪くない.上の写真のポイントは台湾の漢方薬屋さんで二人の間に貼られた友シールが映り込んでいる構図がよくできている.右は落合陽一,左はプロフェッショナルを作った阿部ちゃんである.ちなみに撮影したのは河瀬さんで,プロフェッショナルのプロデューサーだった人だ.2006年に番組を立ち上げたディレクターで今回の番組のプロデューサーだ.↓
6年前,2017年に放映された情熱大陸を見てくれた人が意外と多い.私はあの番組は密着ものとしてはとてもよくできていたので,ちゃんと拝見した.内容の解説は下記の記事がわかりやすいがリンク先に行くのも面倒そうなので引用する.
今回の映像構成における論点は「魔法の世紀と芸術」,「計算機自然とアートとテクノロジーとサイエンス」そして「魔法の脱魔術化」だろう.「壁・寿司・民藝」がポイントだと思ったので,まずそこをまとめておく.
「壁」
番組のタイトルにも「壁が、壁でなくなるように」とあるように,壁のメタファーが構成要素として目立つ.「壁からの音を三次元レーザードップラー振動計から復元する研究」,「障害をテクノロジーで乗り越える」,「演出上の困難(壁)を仲間とともに乗り越える」,「領域の壁を打ち壊していく」などのメタファーで用いられている.
しかし実は落合陽一はあまり壁という言葉を使わない.おそらく壁を認識することがない.これは意外と見落としがちな事実である.検索しても発言になかなか壁が出てこないのは主観に壁という認識があまりないからだと思う.
一般的に日本の若手コンピュータ研究者にとって,壁といえば重要なのは壁カレンダーであるが,壁カレンダーは壁である.
と落合陽一の壁カレンダーには書いてある.追加で言うと猫・キノコ・遊牧民への言及は冒頭のDJトラーズとしての落合陽一だけだったところが語り落としの一つである.
https://twitter.com/ochyai/status/1737273093561917685/video/1
しかし,ここで問題になるのは落合にとっての壁の認識である.
直近の清春芸術村の展示を見ても,落合陽一は多分壁を壁として認識していない.ここは大切な観点であることを付け加えておこう.つまり壁オブジェクトをただの剛体オブジェクトだと思っている可能性が高い(何かを囲うとか何かに障壁があるとかを考えていない)
この要因は番組でも語られているように,落合は恵まれた環境で育ち,ひとり遊びが好きで,コンピュータにも砂場にも垣根がない.鈴木健のなめらかな社会とその敵という本があるが,そもそも落合陽一は最初からなめらかなのである.その敵もいなければ,なめらかと壁,という認識がない.
むしろ落合が無くしたいと思っているものは,「重力、ゲート、繋ぎ目」である.
重力は壁ではなく作用であり,ゲートは改札行為であり壁ではなく(越えられることは最初からわかっているが特権者によって越えられるかどうかが選択される),繋ぎ目は壁ではなく美しくない接合面のことである.
ここでのメインパラダイムを壁としてしまったのは時間の都合,番組の都合致し方ないのだが,重要な視点なので挙げておく.
「寿司」
寿司はこの番組を構成する重要な要素である.ダイバースシプロジェクトとロービジョンボクシングが表裏一体の関係であること,情熱大陸でハマグリを食う落合陽一と誕生日プレゼントが寿司職人であるプロフェッショナルの関係を繋ぐ鍵である.(燃焼系の運動と寿司グルメはセットなのだ)寿司を食うプロジェクトをやりつつ光り輝きながら運動する成澤さんの姿は美しい.
寿司は複雑性,人間との関わり,日本,そんなことを思い返すキーエレメントとして物語に登場してくる.寿司をキーエレメントに持ってきたおかげで物語に過去のプロジェクトや過去の番組を通底する深みと連続性が出たのは素晴らしいことだ.
「民藝」
密着期間の中での最大の語り落としはここである.時間の関係で切った最大のブロックはここだろうと想像される.
そもそもプロフェッショナル冒頭のシーンは「計算機自然と民藝」の展覧会に来場した人々へのインタビューである.
民藝を語り落とした故に,テクノロジーとサイエンスが「健やかなる営みではなく壁を乗り越えるもの」として記述されざるを得なかった.そこが一つの問題である.
とのフレーズがあったので及第点ではあるが,ここは文脈が困難すぎる.
喜びを共有することが「民藝の健やかなる営みの本性」だとするならば,この番組で語られた「喜びの共有」の意味を着地させることもできたはずだ.(魔術化された世界:計算機自然での人間とAIの関係性は自然と霊性に似ている)
冒頭の甲斐絹・終盤の工工四での接続は見えるものの,民藝の展覧会と計算機自然の連関性について時間ゆえに語れなかったところは惜しいところである.
「総論」
総じて語り落としはあるものの,膨大な密着から構成されたドキュメンタリーであることは間違いなく実に味わい深い出来である.そして何よりも阿部ちゃんと河瀬さんと過ごす毎日は実に楽しかった.今後の宿題も激励として,まずはこの喜びを共有したい.ありがとう.