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禅か薬で頭の中が静かになった

最近禅が続いてる。
大体1日15分から1時間くらいやってる。
朝起きたときとか家に帰ってきたときとかに。
そういうタイミングで俺は今までネットサーフィンしてダラダラしがちやった。
でも最近座禅をやり始めてから落ち着いて行動できるようになった。
取り掛かりも早くなった。

昨日座禅をしていたら、頭の中の雑音が完全に消えている時間があった。
ADHDの俺はいつでもずーっと頭の中がごちゃごちゃとうるさかった。
あんなに静かやったのはあんまりないかも。
てゆーか初めてやったかも。
座禅の効果なんかな。
それかADHDの治療薬のストラテラが効いてきたんかな。
それともどちらものおかげか?他にもなんか考えられる要因はあるんかな?
まあ、なんでもいいや。

頭の中がおしゃべりも音楽も映像も何も流れてなくて。
ただ外の車の音とか風の音とか空気の流れとか体の温かさとかを、なにも思わず考えずに感じてて。
自意識が溶けていってる感じやったな。
自分という存在がなんかどうでもよかったというか、どうでもいいことすらどうでもよかった。
悪くない気分やったな。
一言でいうなら平穏?静謐?

俺は自分のことがどうでもいい。
ストラテラを飲むことで頭の中の雑音が消えることとか今まであった欲求が消えていくこととかに恐怖を覚える人がいるらしいけど。
俺は正直そうなってもいいし、ならんくてもいいと思ってる。
昔は自意識があることにこだわってたり、頭の中の雑音が煩わしくて消したくてしょうがなかったりしたときもあったけど。
今は自分の状態がどうなっていようがほうっときゃいいなと思ってる。
いや、できれば健康であって欲しかったり、心安らかであって欲しいとは思ってる。
でも自分の心身は願うようにはならんことは多いんやって、いい状態も悪い状態もずっと続くものは何もないって、この22年生きてきて実感してる。
また仏教でも「一切皆苦」(全てのことはどうにもならない)とか「無常」(一切のものは生じたり変化したり滅してずっと一定ではない)って教えがある。
願ってもどうしようもねえこともあるなと、あと願ってる間って今に生きれてなくてしんどいなと思った。
それで意思をもってなりたい自分になることを願うのはやめた。

それでもついつい欲しがっちゃうことはあるけど、それは無意識の本能が生み出してくるもの。
遺伝子に刻まれた本能を抑えつけるのは難しい。
でもなりたい自分というのは無常、一切皆苦という原則からも矛盾する概念上のもので、これを求めると不幸になる。
なろうと行動しても完全にはなれない、満足できない、きりが無い。
最近は自己実現欲求がでてきたら、そのまま相手をすることはなく大体の場合は放っておく。
欲求は放置されていると意識からは消えていく、これもまた無常なんかも。

とりあえず俺は意識的には何も願おうとはしない。
ただ無目的に坐り自分を観続けておく。
そうすればいい変化が起きていい状態になる傾向がある。
落ち着いたり、人にやさしくできるようになったり。
でも俺はその変化、状態すらも願わない。
今までの自分、今ある自分、これから変わっていく自分、全部の自分をちゃんと受け入れたい。

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