元芸人と元AV助監督の交換日記#14「遊びのゲシュタルト崩壊」(A先輩)

 僕が覚えている中で一番古い記憶は、2歳下の妹が生まれるときだ。薄暗い病院で一言もしゃべらずじっとソファに座っていたことを覚えている。さらには、その姿を見て両親が「なんてしっかりしているんだ。素晴らしい兄だ。」と僕のことを褒めちぎったことまで覚えている。その時からこんなにも褒められるのであれば、「両親が思う」いい子でいようと幼心に決めたのだ。あくまでも「両親が思う」いい子ということで、おねだりをしない、喧嘩をしない、休日は両親と積極的に出かけるといった程度のものである。

 小学2年のある土曜日、いつものように家で両親と一緒にいた自分に母親がふと、「あんたはいつも家にいるね。友達と遊ばないの?」と聞いてきた。勿論、母親は何か悪気があって言ったわけではなく、何の気なしの質問であることは分かっている。しかし、今までいい子を演じてきた自分にとっては、友達がいないと思われている様に、そもそも両親といることはいいことではない様に聞こえたのは確かである。そこから、二十日大根も驚きの急速な自我の芽生えがおこった。まずは今まで興味がないのに早起きをしてまで見ていた仮面ライダーや戦隊ものをみなくなった。『笑っていいとも!増刊号』スタートの10時起きにシフトチェンジをした。そして、午後は必ず友達の家や学校の校庭へ遊びに行った。その頃から次第に「遊ぶこと」の魅力に取りつかれていった。友達と遊ぶことはなんて楽しいのだと。

 中学校に上がると今でも親交のある友人4人に出会い、「遊び」が加速していった。グラウンドでのサッカーから、友人宅でのゲーム、ドライブ、飲み会、今ではゴルフと内容は変わっていくものの、「遊ぶこと」の魅力は変わらない。多いときでは365日中360日を「遊び」で費やした僕の人格は「遊び」の中で形成され、「遊び」の中で昇華していった。僕にとっての人生とは「遊ぶこと」への準備であり、「遊び」そのものなのだ。

 「遊」がゲシュタルト崩壊を起こしたところで、本題に、いや、まとめに入ろうと思う。僕が仕事するうえで気を付けていることはたった一つ。「仕事を仕事と割り切ること。」だ。言い換えれば、仕事など必要最低限さえできればいいと思うことだ。最近の若者は云々言われてもおかしくない考え方だが僕はそう思う。週の5日は遊ぶための準備期間だと考え、残りの2日、休みの2日で発散させる。いわば2日を楽しむために仕事をしているのだと自分に錯覚させている。仕事に熱を入れすぎて休みに遊べなくなることを避ける為に、必要最低限の仕事しかしない。必要最低限の責任しかない今だからこそ割り切って良いのではないか。

 勿論、この働き方がよくはないことも、永遠ではないことも知っている。しかし、「遊び」の誘惑に魅了されているまでは目をそらして生きていこうと思う。
さて、次の休日は何をしよう?今年のGWは何をして遊ぼう?とりあえず仕事は後まわし。

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