私はつらかったんだな、と。

最近ずっと日を超えての投稿になっていた。

このままだとまずいな、と思いながら今日は昼にPCを開いた。


何を書こうかな。と思いながら、キーボードの上に乗せた自分の手を見ると、ガサガサの指が見えた。

最近、手がかゆくて仕方ないから、ずっとかいていたら見事に荒れてしまった。

私は小さい頃からアトピー持ちで、小学校入学前には私のアトピーがひどすぎるからという理由で、引っ越しまでした。

木と田んぼしかないド田舎に引っ越してから、私のアトピーはすっかり良くなり、たまに夏にあせもができる程度だった。

けれど、中学に通うようになってからふとした瞬間にアトピーが再発したりした。今振り返れば、感情の起伏が激しいときや、ストレスが大きいときに症状が出ていたと思う。

だからと言ったらなんだけど、就活は心因性のアトピー持ちにはなかなかきついものだった。夜は自分の知らないうちにかいてしまって、起きて「あーあ」となる毎日。シャンプーは痛いし、このご時世手を洗いまくらないといけないのに、水にすら触りたくない。(ちゃんと手は洗ってます)

客観的に見たら結構きついんじゃないかと思える状況だった。

けれど不思議なことに、これまで自分のアトピーを他人にわざわざ言ったことはないし、アトピーだからという理由で何かを断ったりしたことがなかった。

「私のアトピーなんて他の人の”偏頭痛”とか”喘息”とかそういうものに比べたら大したもんじゃない」

いつもこう思っていた。
これはアトピーじゃなくて、私の人生、生活において自分の基盤となるような考えだった。

でも、ほんとなんだろうか。

私はみんなと比べて、つらくないんだろうか。

誰かに
「自分より他の人のほうが苦しんでるだなんて、なんで勝手に他の人が自分より苦しんでるってかわいそうがるの?それって傲慢じゃない?」
と言われたことがあった。

確かに、そういう風にもとれるかもしれない。

そもそも、「つらさ」というものは人それぞれで、比べようがないもの。

私が「つらい」と思えば、それは「つらいこと」なのだ。

別につらいと思うからって、人に「私つらいの」と言いふらす必要はない。けれど、「私、ちょっとこれはつらいなあ」と心の中で思って、「つらいのによく頑張ってるね」と自分に言ってあげるのはいいんじゃないだろうか。

この慰めは、自分自身が「つらい」とちゃんと感じてないと行えない。

もっと上手に弱音を吐かないと、本当にボロボロになるまで気づけないな。


と、自分の手を見ながら思いましたとさ。

もし、何においても「私なんか」「みんなもっと苦しんでる」と思う人がいたら、「自分のつらさ」にもっとフォーカスするようにしてみてほしい。

そもそも、「みんなもっと苦しんでる」なんて思う時点で相当苦しいはずだ。

自分のつらさにポジティブになることは何も悪いことじゃない。

自分をしっかり慰めてあげましょう。


では、また明日。





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