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明智光ひ伝 第一話 「地味な日々」

時は天正十年、五月二十二日。
「クソあちいな。五月でこれだったら八月ってもうあれなんじゃないの。」と御年五十五歳の明智光秀は言った。口に出して言ってみた。
光秀は縁側で横になり、肘をつきながら庭を眺めていた。

光秀が丹波亀山城でこうして暇をしているのは、「戦陣の用意を待機、命令あり次第出陣せよ」という信長からの命を受けていたからである。
この丹波亀山城は光秀が五年前に丹波攻略のために建城したものである。最初の頃は「俺の城」というだけで居心地が良く、気が強くなった光秀は、鞘に納めた状態の刀の先、つまり鐺の部分で家来の背中をいきなりこずいたりして「ちょっとなんすか!!」という受け身を取った家来に「疼くんだけど(笑)」と訳の分からないことを言ったりしてそれなりに楽しんでいたのだが、三年前に丹波国を拝領してからというもの、信長に城下町の整備や経営を頼まれた光秀は、毎日遅くまで数字の計算をしたり、頻繁に現地に赴き現場の人間達とコミュニケーションを取ったりするような地味な作業をしており、城下町と城を行ったり来たりするだけの生活を送っていた。

当時の城下町に住んでいた人間、小南一平という人物が記した文書「城下町記」からも当時の光秀の様子が伺える。以下引用。

「光秀様の顔が蒼白かったのでどうかなされたのかと聞くと、光秀様は露骨にしんどそうな顔をしながら指を三本立てて「三時間。」とだけお答えなさった。睡眠時間のことをおっしゃられているのだなと考えた私は、「大変ですね。でも羨ましいですよ。あのような立派なお城にご自身のお部屋があるだなんて。私のような町人からしたら、もう想像することすらおこがましい。」と言うと、「いやもう亀山城は俺からしたら、ただ寝るだけの感じになっちゃってるわ。」と光秀様はおっしゃられた。多忙そうだ。」


「城下町記」『光秀様が来られた。。。』より


光秀は庭にいる一匹の猫を眺めながら尻をポリポリ掻いていた。痒いのである。ここ最近の暑さのせいで尻が蒸れ、右の尻に蚯蚓腫れのような赤い湿疹が出来てしまい、その湿疹の周囲を指先で引っ掻くようにして、痒みを凌いでいた。
要するに暇なのである。そしてそれは光秀にとって大変苦痛なことであった。
城下町が安定してから二年が経過し仕事にも慣れてきた光秀は、生活に飽きていたのである。「慣れ」というのは「日課」でもあり、日課とは「ルーティーン」のことであり、「ルーティーン」の語源には「思考の欠如・停止」という意味があると、細川家の誰かが言っていたのを聞いた時、光秀は自分の現在の状態について自覚してしまったのである。

信長は現在四十九歳。光秀の六歳年下であった。光秀から見た信長はとても若々しく、最近では「中国出陣も考えておる。」みたいなことまで言っていて、なんて勇敢でそしてグローバルな視野なんだ、と思いつつ自分には無理だと思ってしまっていた。

庭にいる猫。突然飛び跳ねたかと思えば、急に寝転んで、こちらに肛門を向けている。自分と信長の決定的な違いは人を惹きつける力の有無、要するに「カリスマ性」があるか否であり、自分にはこの類の素質がないのだと、この時に光秀は悟った。

このころの光秀の口癖は「案外地味だよ。」であった。

猫は立ち上がり、少し左の方へと移動した。光秀は痛痒くなってきた湿疹の周囲を搔きながら、それを目で追っていた。
猫はまた寝転び、光秀に肛門を向けた。
光秀は立ち上がり急いで部屋の隅へと走り、刀を手にして庭へと降り、猫に近づいて行った。
猫は肛門を向けたままである。
猫の目の前まで来た光秀は鞘に手を掛けた。
猫は肛門を向けたままである。
光秀は刀を抜いた。そして刃先を猫の背中にゆっくりと近づけた。
猫は微動だにせず光秀に肛門を向けている。
「生かす。生かすことにしました。はい。そうします。はい。」と光秀は声に出して言って、刀を鞘に納め、ずかずかと部屋へと戻っていった。

当時のことを、光秀は自身が書いた「光ひ伝聞文書」にてこう綴っている。


信長様であったらこの猫を容赦なく斬っていたであろう。
しかし、私は斬らなかった。そこに私と信長様の違いがある。
私にあって、彼にないものが、この猫を生かした。
猫は今、私の庭で糞をしている。

「光ひ伝聞文書」『猫の肛門』より。

光秀が本能寺の変を起こすのは、この僅か一週間後、天正十年六月二日のことであった。


続く。



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