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配信デビューに際し、インタビューしてもらいました。

ゲーム会社に勤務する傍らで音楽活動をしている越知雄一さんは、52歳の誕生日を迎える6月23日に、2つの曲で配信デビューする。ドラム、ベース、ギターの生楽器による演奏を除けば、作詞・作曲からアレンジ、ボーカル、コーラスまで、すべてを自身が手がけた。驚くのは、そのクオリティである。越知さんのアーティストとしての顔を知らなかったぼくは、初めて音源を聴いて、想像の斜め上をいく完成度の高さに度肝を抜かれた。

さらに特筆すべきは、この2年間における歌唱の上達度合いだろう。当初の音源と聴き比べると、越知さんの歌声は驚異的な進化を遂げている。いったいこの2年間で、しかも50歳からのチャレンジで、なぜこんなに歌がうまくなったのだろうか? 今回は、曲作りの背景から配信への道のりまで、様々なお話を伺った。バイタリティ溢れる越知さんのエピソードは、「人間が持つ可能性の素晴らしさ」を感じさせてくれるはずだ。

(取材・執筆:中村洋太

まずは音を聴いてください。

——まず、1曲目の『原田さんのビスコッティ』について伺います。冒頭から繰り返される「ビスコッティ〜♪」のフレーズと越知さんの伸びやかな歌声が印象的で、一度聴いたら忘れられない曲です。この曲はどういう経緯で生まれたのですか?

友人の三宅紘一郎くんが広島県の大崎下島で起業するというので、2015年に仲間と遊びに行ったんです。彼が現地で活動し始めてから、「まめな」というコミュニティができ、全国からいろんな面白い人たちがその土地に集まるようになりました。僕も気に入って、それ以降年に2回くらい遊びに行くようになったんですね。

その「まめな」で、手作りのビスコッティを作って販売している原田さんという方がいるんです。ビスコッティというのはイタリアの郷土菓子で、硬めのビスケットみたいなものです。原田さんは60代後半で、精力的にいろんな活動をされている方なんですが、ビスコッティ職人としての顔も持っています。2021年の春に原田さんと「まめな」で会ったとき、ふと「どうしてビスコッティを焼くようになったんですか?」って聞いてみたんです。そしたら、娘さんが口を聞いてくれなくなったことがきっかけだったとか、材料はなんだとか、何気ない会話ではあったんだけど、ほっこりして、妙に印象に残りました。

その翌日、「まめな」にピアノが置いてあったから、ほかの仲間もいる前で、即興で「ビスコッティ」をテーマに弾き語りをしたんですよ。今回配信する曲の、いわば原案になったものですね。昔からバンド活動や作曲をしてきて、いくつかの言葉さえあれば、ちょっとしたフレーズとかメロディーはパッと浮かぶので。それで、演奏したら「いいね〜」と場が盛り上がったから、「せっかくだし、これをちゃんとした曲にしたいな」という気持ちが生まれました。

——今回、2021年4月の着想の時点での音源と、より進化した2021年11月の音源も聴かせてもらいました。順に聴いていくと、越知さんの歌声がわずか半年であまりにもうまくなっていて、本当にビックリしました。いったい、その半年間に何があったんですか?

これまでバンドではずっとキーボードを弾いてきたので、以前の自分だったら、ボーカルは別の人に頼んでいたでしょう。でも、この曲は自分で歌うのがいいなと思ったんです。コロナ禍もありましたし。

ただ、曲はバンド演奏で作りたかったから、プロの音楽家に相談しに行ったんです。僕はもともと放送の業界にいたから、音楽業界にも結構知り合いがいました。今回僕の曲でドラムを演奏してくれた宇津本さんは、90年代に「DEEN」でドラムを叩いていた方で、彼に相談したんですよ。「自分の曲を、プロの演奏を入れて歌いたいんですけど、そこまでお金をかけずにできませんか?」って。そしたら「できますよ」と。

だけどデモテープを宇津本さんからは、「せっかく作るんだったら、いろんな人に聴いてもらえるように、歌はもっと頑張った方がいい。ボイトレをやったらどうですか」と提案されたので、

「ボイトレやります」
「どのレベルに行きたいですか?」
「行けるところまで行きたいですね」
「じゃあ良い先生を紹介しましょう」

と、トントン拍子で紹介してもらえました。某有名アーティストも指導しているRaizoさんという先生で、札幌在住なんですが、2021年7月に東京に出てくるというので、そのタイミングで初めて教わりました。さっき「半年間で歌声に大きな変化があった」と言ってくれたけど、ボイトレは2時間だけです。

——先生からはどんなことを教わったんですか?

まず、身体の使い方ですよね。声を出すという行為は、お腹から鼻までの空間をいかに使うかで変わってきます。バンド演奏があるなかでもちゃんと聴こえる声にするためには、周波数的には2〜5kHzの成分を出してあげると良かったりするんです。だからこの声を探し出すための試行錯誤を繰り返し、見つけ出した声を使って歌の練習をしていきました。

ボイトレでは、ヒントはもらえるけど、結局は自分自身で声を開発しなきゃいけません。だから2週間に1回くらいの頻度でスタジオへ行って、練習していました。その繰り返しで随分歌声が変わりましたね。

それから1年以上経った2022年10月に、2回目のボイトレを受けました。そのときは息継ぎのコツや、強弱の付け方を教わり、あとは言葉の「入り」と「終わり」を丁寧に歌うようアドバイスされましたね。自分では結構良い感じになったと思っていたんですが、いざまた指導を受けると、「まだまだ改善できることがたくさんあるな」と痛感しました。

それに、このレコーディングのためにドラムの宇津本さんなどプロの方が演奏した音をもらって、「このオケだと歌が負けちゃうな」と焦るんですよ。だから今年4月のレコーディング本番に向けて、さらに練習を頑張りました。直前にようやく、納得のいく声が出るようになりました。

——実際に配信される音源は、演奏もアレンジも歌声もさらに素晴らしくなっています。ビスコッティ職人の原田さんも相当驚かれたんじゃないですか?

とても喜んでくれました。実は曲の冒頭に登場する「ぱっぱっぱ〜」というチューバの音は、大崎下島で録音した原田さん本人の演奏なんですよ。彼も音楽家としての顔を持っていて、ボーカルレコーディングのときはわざわざ広島から東京まで来てくれました(笑)

——そうだったんですか(笑) 個人的な感想なんですけど、『原田さんのビスコッティ』は子ども向けにもピッタリの曲で、例えばNHK「みんなのうた」で使われたらすごくハマるだろうなと感じました。

まさに、それを狙って作ってましたよ。「ビスコッティが食べたくなった」とか、そういう感想もありましたしね。

——そして今回はもう1曲、『愛に大切なことは』。『原田さんのビスコッティ』とはまるで雰囲気が異なる作品ですが、こちらを加えたのはどのような背景からですか?

この曲は、1996年に僕がやっていた「Y'sFACTORY」というバンドのために作った「恋に大切なことは」のセルフカバーです。当時ボーカルは別の人でしたが、当時も自分がやりたい感じの曲が作れたなという感触がありました。

今回せっかく録音して出すのに、1曲だけじゃ少ないので、追加でこの曲を選びました。昔、シングルレコードだったら1枚に2曲入ってたじゃないですか。そんなイメージです。ある日スタジオで、軽い気持ちで弾き語りっぽくこの曲を歌ってみたら、なんかいいかもと感じて、そこから配信用にアレンジを加えていきました。

——曲調や歌声に、「キリンジ」のような魅力を感じました。

友人からも「キリンジっぽい」と言われました(笑) 

この曲が生まれた1996年は、キリンジがデビューした年でもあります。だからまあ、時代的に似たような思考はしていたと思うんですよね。僕は80年代のシティポップが大好きで、この曲でもかなり意識しています。

——周囲のご友人にも今回の音源を聴いてもらったと思いますが、ほかにはどんな感想をもらいましたか?

『原田さんのビスコッティ』に関しては、三宅くん含めて、「まめな」にいた人たちから、「最初は冗談みたいに弾き語りしていたただけなのに、まさかここまでの作品になるとは」と言われました。

『愛に大切なことは』は、バンド仲間からの感想が印象的でしたね。「越知さんがやりたかったのはこういうことだったんですね」とか「昔のも若さが出ていて良かったけど、こういう大人な感じもいいよね」とか。

配信したら、またいろんな友人・知人が聴いてくれると思うので、「(越知は)こんなことができるんだ」と驚いてくれたら嬉しいですね。

——2年間かけて配信デビューが実現できて、達成感も大きいのではないでしょうか。

料理でも何でもそうですけど、完成形ができるというのは嬉しいし、自分に対しておめでとう、お疲れさんっていう気持ちはありますね。

でも一方で、山に登ると、また違った景色が見えるじゃないですか。今回のボイトレもそうなんですけど、今までいかに自分がいい加減に歌ってきたかということを痛感したわけですよ。2年間でここまで上達できたから、「今度はさらにこうしたい」みたいな気持ちも生まれました。一生答えが出ない旅を続けられると思ったら、人生最高に面白いですね。

——自分で作詞して、曲を作って、歌まで歌ってというのは、本当にすごい才能です。やっぱりその音楽的素地は、学生時代から音楽活動を続けてきたことが大きいわけですよね。

そうですね。でも大事なのって、自分がやりたいようにやれるかだと思うんですよね。社会人になってもバンド活動を長くやっていたけど、全て自分のニーズに合うものがやれるわけではないから。そういう不満や、ちょっとしっくりこない部分もありながらやってきた、というのは当然あります。

自分の曲で配信したいという気持ちは、2010年頃からありました。でもその頃は別の人が歌うんだろうなと思っていたし、そもそも実際に作ろうとするまでには至らなかった。

​​夢とか実現したいことがあったとき、実際には自分が思っていたのと異なるタイミング、異なる形で実現するんだなって、今はすごい実感してるんですよね。人生って面白いなって。

——遠回りにも、価値があったということですね。

そう。これまで長くバンドでやってきた経験が、アンサンブルを勉強するにはとても良い経験になったわけです。この曲で、こうやってるのはなぜかとか、ギターがこうやってるのはなぜかとか、そういうことをものすごい吸収できたから。

——完成するまでにはどんな苦労がありましたか?

僕としてはただ好きなことをやっていただけなんで、いわゆる世の中的な意味の「苦労」は感じなかったけど、「このままじゃダメだな」とか「これはもっとこうしなきゃな」みたいな課題にはたくさんぶち当たりました。これまでの人生でいちばんぶち当たったと思います。

でも、これは何も音楽に限らないですが、答えが見えないときって考えても無駄で、とにかく動き回るしかないんですよね。うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。でも、うまくいかなかった時も「これだとうまくいかないんだ」ってことがわかるから、それも前進なんですよ。動かなければ、何も残らない。これはどんなことにも通用する考え方なのかなと思いました。

——50歳を超えても、年齢を気にすることなく新しいことにチャレンジする越知さんの生き方は素敵だなと思いました。きっと世の中には、「本当はこんなことがやりたい」と憧れを抱いていても、なかなか一歩を踏み出せない方や、年齢などを理由に最初から諦めてしまっている方も多いはずです。越知さんなら、そんな方々にどんな言葉をかけたいですか?

最近のことでいうと、AIがどんどん進化していますよね。AIが仕事や生活に入り込むことによって、今までは人間がやるしかなかった作業をAIが代替してくれるようになります。その結果、時間が生まれて、人間は「より人間らしいこと」をやれるようになるはずです。

自分がやりたいことをやれる時代が到来するんだから、今やりたいことがあるなら、どんどんやったらいいじゃないですか、と思っています。

小さいことでもいいから始めてみる。何もしないと始まらないけど、何かやれば、それまでぼやっとしていたことが具体的に見えてきたり、自信を持ってやっていいんだと思える何かが見つかったりするかもしれない。

やっぱり動いてみるしかないんじゃないかな。ひとりでできなければ、仲間を見つけてやってもいいし。特に日本社会は同調圧力が強いからちょっと難しいけど。僕もこうやってどんどんやれるようになったのは、海外に住んだこととか、海外の人と仕事をしていたことが大きいかもしれません。とくにこの2年間は、アメリカやヨーロッパの人たちと一緒に仕事することが多かったですし。

——彼らからはどんな影響を受けますか?

みんな好きなように生きてるんですよ。彼らと接していると、「自分も好きなようにやればいいじゃないか」という気持ちになってくる。自分がハッピーになれることを、どんどんやる。それがハッピーになるいちばん早い方法だなって思います。

——最後に、次の目標は何ですか?

もっと録音する曲を増やして、アルバムを作りたいです。あとは、やっぱりバンドが好きなので、うまくメンバーを見つけて生ライブをやりたいですね。

——本日はありがとうございました

完成版はこちらから聴けます。

「原田さんのビスコッティ」
作詞/作曲/編曲 Ochizoh
Tuba 原田禎彦
Drums 宇津本直紀
A.Guitar 森堅一
E.Bass KIYO
Keybords/Chorous Ochizoh

Vocal & Guitar Recorded ,Mixed and Mastered at Studio Athor
Engineer 森堅一

「愛に大切なことは」
作詞 前澤茂伸/Ochizoh
作曲/編曲 Ochizoh
Drums 宇津本直紀
E.Guitar 森堅一
A.Guitar 一ノ瀬祥
E.Bass KIYO
Keybords/Chorous Ochizoh

Vocal & Guitar Recorded ,Mixed and Mastered at Studio Athor
Engineer 森堅一


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