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静かなお点前をいたしましょう

侘び 茶の湯 火と水と茶と道具と静かなお点前

本寿庵の朝
空明けきらぬ五時、水屋甕に水を汲みます。
寺の本堂では、仏さまに灯明が燈り、香が焚かれます。
 
静かに、茶釜に熱が入りはじめ、次第に松籟の音が響きはじめます。
点てた御茶を仏さまに献じて、読経がはじまります。
(松籟の音とは、松が風に揺れて梢が擦れ響く音を言います。茶釜の湯が煮えたぎる音がその音によく似ていると言われます)

人は、さまざまな理由で手を合わせます。
悩みがあり解決を求めて手を合わせる人
心静かにありたくて手を合わせる人

そして、人は手を合わせるなかにおいても、いろいろな想いが胸に去来します。その想いを整理できないままに、漠然と手を合わせ続けたとき、哀しいかな逆に頑な心・偏りが生じることがあります。
これは僧侶でもそうでない方も、最も避けなければいけないことです。
 
なぜこのようなことが起きるのか?
悩みがある・静けさを求めるという状況は、一種平常心から離れている状態、若干の興奮状態を伴う場合があるとも言えます。
仕事や家事、人間関係、環境に追われる状態から、ふと自分自身をみつめたとき「放ることのできない何か」に気づいて手を合わせようとする。
「放ることのできない何か」は、特別な何か。平常から離れたところにあります。
見つめなおし、それを改善しようとすることは何より大切なことです。
ただし、改善を求める心が、いつのまにか「理由となる特別な何かへの執着」に変わり、そしてそれにも気づかず善処していると思い込んで手を合わせた末には偏った頑なさが残る。心に静けさは生まれません。
 
手を合わせる時に肝要なことは、特別な何かについて考えこむのではなく、本来の素のままのご自身に落ち着くことです。
 
本来の素のままのご自身とは何でしょう?
人として生まれた生命そのもの。

今も昔も変わらない、この世のあり様。
朝が来れば日は昇り、夕べには日が沈む。
春がくれば生命は活気づき、秋が来れば夏の疲れを癒す風がふく。そこここにほっとした空気が満ちる。冬が来れば寒にそなえて心身が引き締まる。
人も動物も草木も、生命という一点においては何ら変わらぬ同じ存在です。
何に生まれてもそれなりの喜怒哀楽に包まれる日々を送るでしょう。
 
侘び 茶の湯は、火と水と茶と道具を前に、ご自身の心を合わせてする所作です。
どのような茶の湯となるか、ご自身の心が表れます。
静かな点前となるか、なにやら心落ち着かぬ点前となるか。
執着を持たずに、ただただ一心に、目の前にある火と水と茶と道具に心を合わせて茶を点てた時、静かなお点前が生まれます。
侘び 茶の湯は、執着から離れる習いとなることと思います。ご自身の心を助ける糧となります。

稲電流 本寿庵の点前において、
亭主が、「どうぞお楽に」とお声がけをいたしましたら、
身体を楽にという意味合い以上に、どうぞ心をお楽にお持ちください。

本寿庵へお越しいただきましたら幸いでございます。

本寿庵 庵主
 
 

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