見出し画像

お茶の葉のいままで(未完)

こんにちは、お茶の葉です。

そういえば自己紹介をできていませんでした・・・(抜けてた)
こういった発信をしていくきっかけになったことも踏まえて、私の今までを話していきたいと思います。

読んでいただけたら幸いです。
それではれっつごー。

ーーーーーーーーーーーーーーー

幼少期

ここまでさかのぼると何から書いていいかわかりませんね。
とにかく外で遊ぶことが好きな子だったと思います。園内でブランコの順番待ちしてたことを覚えています。
あと図工作と、折り紙を折っていた情景を思い出すのでそれも好きな作業だったんだなぁと思います。

私は集団行動などが苦手で、いまでも一人で行動することの方が楽だったり、一人の方が物事を存分に味わうことができたりします。
今思い返すと、幼少期のころから友達と楽しむ、というより何をしたいか一人で決めて、勝手に行動していることの方が多かったように思います。
半面おままごとに参加してなにをどうすればいいのかわからなかった記憶もあります。
今と傾向変わってないですね・・・。

めちゃくちゃ覚えていることとしては、寒い中、一人家の前で長時間シャボン玉をしていたら、風邪を引いた(熱がでた)ことですね。
寒い中といっても空は晴れていたと思うのですが、体調悪かったんですかね。とにかく夢中でシャボン玉吹いてぽけーっと見てましたね。
集中力があるといったらいいのか、ばかといったら早いのか・・・

あと覚えてることは、参観日で親が授業を見に来た時のことです。
図工作の授業だったのですが、手が遅いのかこだわりが強いのか、私めちゃくちゃ終わるのが遅かったんですよね。
周りの子がとっくに終わって親御さんに作品を見せたり、楽しく話したりしてキャッキャしてるなか、先生と親に見守られながら黙々と作業していたことを覚えています。
周りの状況も分かっていたので、(みんな終わってるのに私だけ終わってない・・・すごい見られてる・・・)とプレッシャーを感じて泣くのを耐えながら作品作ってました。なんかすごいみじめな気持ちだったこと覚えてます。

幼少期は人と関わることが怖い、というよりかはどうしたらいいのかよくわからない(ただただ困ってる)という状態でしたね。
割と周りを気にしないで勝手に行動出来てたせいか、罪悪感だとかはあまり持ってなかったと思います。

小学生

6年間もあるので細かく書けませんが、とにかく外で遊ぶのが大好きでしたね。
休みの日とかはほぼほぼ近所の子と外で遊んでましたし、それがない日でも一人で近所を走り回ったりなわとびしたり鉄棒したりフラフープしたりしてました。
今考えると一人で楽しみすぎだろ、と思うのですが当時はまったく気にせずやりたいことやってましたね。一人なのも全く気にしてませんでした。いつから気にするようになったんだろ。この頃の精神に戻りたいですね。
だんだん周りとの関係性というか、どう思われてるかを気にするようになって、うまくコミュニケーションをとれないことを気にするようになっていきました。(たぶん以前からうまく話せていませんでしたが、なにも気にしてなかった)

本格的に周りを気にし始めて、劣等感とか罪悪感とかを抱き始めたのが中学年くらいでしょうか。


中学生

中学は部活動ばかりでしたね。朝部活、授業終わり部活、土日部活。
少数でしたが友達はいたので、そこまで深刻になってはいませんでしたが、友達ではない人や先輩など、少し関わりが薄い人とも円滑なコミュニケーションを!なんてことは全くできませんでしたね。
結構長時間やる部活だったので、取り繕う体力も持たず、素で過ごせていたのがよかったですね。コーチや顧問や先輩後輩との接し方は永遠にわからず困ってましたが。

周りのひとには大分恵まれていたので、学校でどう思われているかなどは深刻には考えていなかったと思います。
ただこの辺りから進路などを決めるようになってきて、周りの子達が上の学校を目指していたり、塾に通ってたり、色々しているなか、何も考えてなかった私は「この程度なら受かるかな」と低めの偏差値の高校を選んだりしてました。将来なんて知らない。

今振り返ってわかることは、その時点で私はこうなりたいという理想もなかったし、自分はこんなもんだと思ってたし、失敗することが恐ろしかったということですね。将来どうなるかより、変に挑戦することの方が怖かったです。
挑戦して落ちることが、というよりかは「そこ目指すの?」とか周りに思われることが怖かったです。
今頑張るから力がつくとか、全然思えてなかったです。
頑張ればなんでも、とはいかなくても、自分のしたいようにできたのに、と思います。
自分を一番諦めていたのは自分だったなと思います。

高校生

高校で気を使ってなかったことは滅多になかったんじゃないかなぁ、というくらい馴染めてなかったと思います。
仲のいい子はいたのですが、なんだか取り繕わないとだめな気がしてましたね。
周りの子はいい子達だったのですが、私が完全に身を引いてた感じします。
扱いづらいやつだったろうな私・・・と申し訳ない気持ちになります。
話しかけられるのも怖いし、話しかけるのも怖いし、なに話したらいいかわからないしで、内心怯えてましたね。

この辺りで私がわかりやすく社会不安をもってるなぁ、という症状が、
「バイトはしたいけど怖すぎてできない」
ですね。
まず「バイトしたいです」電話を想像しただけで怖い。
面接が怖い。
上手くできるか怖い。
知らないバイト先の人に話しかけるのすら怖い。
もしバイト先に知り合いが来たら怖い。
「そこでバイトしている」という事実を知られるのが怖い。
飲食なら髪の毛をまとめて顔面さらすのが怖い。
接客なんでできる気がしない。怖すぎる。
全てが未知数すぎて怖すぎて死ぬ。

周りの子は普通にバイトしてたのに、私は結局長期休みの時に短期で人と接しない単純作業のバイトをするくらいで終わりました。

普通の子はしたいことをするため(遊ぶため)にお金が欲しいからする、
欲しいものがあってお金が欲しいからする、とかじゃないですか。
もっと進路に関する真面目な理由だったりするかもしれませんが、結局は「自分のしたいこと、目標のために」お金が必要で、そのため手段であるバイトをする、がほとんどだと思うんですけど、
私は「怖すぎるからお金のかかることはしない」を選びましたね。
そりゃ人生つまらない方向にいくよな、って感じです。
でも本当に怖すぎたので、その時の自分を責める気にもなれませんね。

社会人

私は大学には行っていないので、高校卒業してすぐに社会人生活が始まりました。
思い出したくないくらい人と関わることも仕事も何もかもできませんでした。できなかったというより、思い返すとそもそもしてませんでしたね。
いえ、不真面目なわけではないんですけど(めちゃくちゃ思い悩んでた)、本当になにをしたらいいかわからないし話しかけられないし質問できないし何も理解してないし。「あいつだめすぎる」って言われてるやつですね。ポンコツ以下だったと思います。不真面目じゃないの逆に質悪いですよね。

私としては長く働かせてもらいましたが、もう今となっては申し訳なさしかないですね。周りの方にとってはいい迷惑だったと思います。それでも露骨に冷たくされたとかもなくて、皆さんの大人なふるまいに救われてたんだなと思います。

私自身の状態としては、思い返すと、ずっと鬱の少し手前で踏ん張ってたのかなと思います。
適応障害なのかなんなのかはわかりませんが、入社して2年目にパニック障害がでてから、退職の少し前まで定期的に発作がでてました。
初めて発作がでたとき、何なのかわからな過ぎて怖かったんですが、自分で症状を調べてパニック障害だと突き止めまして。発作がでても死ぬことはないとわかったんで、症状が出ることが怖くて電車に乗れなくなるとか、会社に行けなくなるとかはなかったです。(ただ症状が落ち着くまで時間がかかったんで遅刻したことはありましたが…)

ここから退職して、一度学生をしてみて、また就職して、などやっていくんですが、ひとまずここまでで切り上げます。

感情のままに書いてしまってるので、なんだか自分でもまとめられなくなってきてしまいました。

もっとメンタルの上下がわかりやすいように書いた方がいいのかな?
(ちなみにここから先の話はメンタル上昇しかないので、安心してください。)
この不安要素しかない状態からいまは割と楽になってます、ということを書いていきたいので、また落ち着いたら続きを書いていこうと思います。


もし読んでくださった方がいましたら、ありがとうございました。

お茶の葉でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?